呂氏春秋 / 首時③
墨者有田鳩欲見秦惠王,留秦三年而弗得見。客有言之於楚王者,往見楚王,楚王說之,與將軍之節以如秦,至,因見惠王。告人曰:“之秦之道,乃之楚乎?”固有近之而遠,遠之而近者。時亦然。有湯武之賢而無桀紂之時不成,有桀紂之時而無湯武之賢亦不成。聖人之見時,若步之與影不可離。故有道之士未遇時,隱匿分竄,勤以待時。時至,有從布衣而為天子者,有從千乘而得天下者,有從卑賤而佐三王者,有從匹夫而報萬乘者,故聖人之所貴唯時也。水凍方固,后稷不種,后稷之種必待春,故人雖智而不遇時無功。方葉之茂美,終日采之而不知,秋霜既下,眾林皆羸。事之難易,不在小大,務在知時。
新字:墨者有田鳩欲見秦恵王,留秦三年而弗得見。客有言之於楚王者,往見楚王,楚王説之,与将軍之節以如秦,至,因見恵王。告人曰:“之秦之道,乃之楚乎?”固有近之而遠,遠之而近者。時亦然。有湯武之賢而無桀紂之時不成,有桀紂之時而無湯武之賢亦不成。聖人之見時,若歩之与影不可離。故有道之士未遇時,隠匿分竄,勤以待時。時至,有従布衣而為天子者,有従千乗而得天下者,有従卑賤而佐三王者,有従匹夫而報万乗者,故聖人之所貴唯時也。水凍方固,后稷不種,后稷之種必待春,故人雖智而不遇時無功。方葉之茂美,終日采之而不知,秋霜既下,眾林皆羸。事之難易,不在小大,務在知時。
書き下し
墨者に田鳩というもの有り、秦の惠王に見えんと欲し、秦に留まること三年にして見ゆることを得ず。客に之を楚王に言う者有り。往きて楚王に見ゆ。楚王之を説び、將軍の節を與えて以て秦に如かしむ。至り、因りて惠王に見ゆ。人に告げて曰く、「秦に之くの道は、乃ち楚に之くか。」固に之に近くして遠く、之を遠くして近き者有り。時も亦た然り。湯武の賢有るも、桀紂の時無くば成らず。桀紂の時有るも、湯武の賢無くば亦た成らず。聖人の時を見ること、歩と影との離る可からざるが若し。故に有道の士、未だ時に遇わざれば、隱匿分竄し、勤めて以て時を待つ。時至れば、布衣從りして天子と為る者有り、千乘從りして天下を得る者有り、卑賤從りして三王を佐くる者有り、匹夫從りして萬乘に報ずる者有り。故に聖人の貴ぶ所は唯だ時なり。水凍りて方に固ければ、后稷種せず。后稷の種するは必ず春を待つ。故に人智ありと雖も、時に遇わずんば功無し。葉の茂美なるに方りては、終日之を采れども知られず。秋霜既に下れば、衆林皆羸く。事の難易は、小大に在らず。務めは時を知るに在り。
現代語訳
墨家に田鳩という者がいて、秦の恵王に会おうとしたが三年秦にとどまっても会えなかった。ある食客が楚王に取り次ぎ、田鳩は楚王に会った。楚王は喜び、将軍の割り符を与えて秦へ遣わした。秦に着くとそれによって恵王に会えた。田鳩は人に言った。「秦へ行く道は、実は楚を経由するのだったか」と。もともと近づこうとして遠ざかり、遠回りして近づくことがある。時機もまた同じだ。湯・武の賢さがあっても桀・紂という時がなければ成らず、桀・紂の時があっても湯・武の賢がなければやはり成らない。聖人が時機を見るさまは、歩みと影とが離れられないようなものだ。だから有道の士は時機に遇わぬうちは身を潜め、努めて時を待つ。時が来れば、庶民から天子となる者、諸侯から天下を得る者、卑賤から三王を補佐する者、一匹夫から大国に報復する者もいる。だから聖人が貴ぶのはただ時機だけである。水が凍って固いうちは后稷も種をまかない。后稷の種まきは必ず春を待つ。だから人は知恵があっても時機に遇わなければ功はない。葉が茂り盛んなときは一日中採っても気づかれないが、秋霜が下りれば林はみな衰える。事の難易は大小によらず、要は時機を知ることにある。
解説
この章句が説くこと
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