呂氏春秋 / 諭大②
地大則有常祥、不庭、岐母、群抵、天翟、不周,山大則有虎豹熊螇蛆,水大則有蛟龍黿鼉鱣鮪。商書曰:“五世之廟,可以觀怪;萬夫之長,可以生謀。”空中之無澤陂也,井中之無大魚也,新林之無長木也,凡謀物之成也,必由廣大眾多長久,信也。
新字:地大則有常祥、不庭、岐母、群抵、天翟、不周,山大則有虎豹熊螇蛆,水大則有蛟竜黿鼉鱣鮪。商書曰:“五世之廟,可以観怪;万夫之長,可以生謀。”空中之無沢陂也,井中之無大魚也,新林之無長木也,凡謀物之成也,必由広大眾多長久,信也。
書き下し
地大なれば則ち常祥・不庭・岐母・群抵・天翟・不周有り。山大なれば則ち虎・豹・熊・螇蛆有り。水大なれば則ち蛟龍・黿鼉・鱣鮪有り。商書に曰く、「五世の廟、以て怪を觀る可し。萬夫の長、以て謀を生ず可し。」空中は之れ澤陂無く、井中は之れ大魚無く、新林は之れ長木無し。凡そ物の成るを謀るに、必ず廣大衆多長久に由るは、信なり。
現代語訳
大地が広大なら、常祥・不庭・岐母・群抵・天翟・不周といった名山がある。山が大きければ、虎・豹・熊・螇蛆がいる。水が大きければ、蛟龍・黿鼉・鱣鮪がいる。商書に、五世の廟なら怪異を観ることができ、万人の長ともなれば大きな謀を生み出せる、とある。うつろな穴に沢のような水はなく、井戸の中に大魚はなく、若い林に長大な木はない。およそ物事が成るのを謀るには、必ず広大・衆多・長久によるのであって、これは確かなことだ。
解説
この段は、大きなものにこそ大きな存在が宿ると説きます。広大な大地には名だたる山々が、大きな山には虎や豹が、大河には蛟龍や大魚がいる。逆に、うつろな穴に沢はなく、井戸に大魚はなく、若い林に大木はない、と対比します。商書の五世の廟は怪を観、万人の長は謀を生むを引き、規模の大きさが大事を生む条件だと示します。呂氏春秋は、大きな成果は広大・衆多・長久という土台があってこそ生まれると論じました。器の大きさが成しうることの大きさを決めるという見方は、大きな成果には相応の規模や蓄積が要るという、現代の事業や組織づくりにも通じます。
この章句が説くこと
諭大広大衆多長久名山蛟竜規模商書
関連する章句
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呂氏春秋・務大⑤昔者、舜は海外を服せんと欲して成らざるに、既に以て帝と成るに足れり。禹は帝たらんと欲して成らざるに、既に以て海內に王たるに足れり。湯・武は禹を繼がんと欲して成らざるに、既に以て通達に王たるに足れり。五伯は湯・武を繼がんと欲して成らざるに、既に以て諸侯の長為るに足れり。孔・墨は大道を世に行わんと欲して成らざるに、既に以て顯榮を成すに足れり。夫れ大義の成らざるは、既に成ること有るのみ。故に務めは大を事とせよ。
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呂氏春秋・愼勢④湯其れ郼無く、武其れ岐無くんば、賢、十全と雖も、功を成すこと能わず。湯・武の賢にして、猶ほ知を勢に籍る、又況んや湯・武に及ばざる者をや。故に大を以て小を畜えば吉、小を以て大を畜えば滅び、重きを以て輕きを使えば從い、輕きを以て重きを使えば凶なり。此に自り之を觀れば、夫れ一世を定め、黔首の命を安んじ、功名の槃盂に著れ、銘篆の壺鑑に著れんことを欲すれば、其の勢尊きを厭わず、其の實多きを厭わず。多實尊勢、賢士之を制し、以て亂世に遇わば、王たるも猶尚ほ少し。天下の民窮し苦しむ。民の窮苦彌々甚だしければ、之に王者たること彌々易し。凡そ王なる者は、窮苦の救いなり。水には舟を用い、陸には車を用い、塗には輴を用い,沙には鳩を用い、山には樏を用うるは、其の勢に因るなり。其の勢に因れば令行わる。
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