呂氏春秋 / 至忠③
齊王疾痏,使人之宋迎文摯。文摯至,視王之疾,謂太子曰:“王之疾必可已也。雖然,王之疾已,則必殺摯也。”太子曰:“何故?”文摯對曰:“非怒王則疾不可治,怒王則摯必死。”太子頓首彊請曰:“苟已王之疾,臣與臣之母以死爭之於王,王必幸臣與臣之母,願先生之勿患也。”文摯曰:“諾。請以死為王。”與太子期,而將往不當者三,齊王固已怒矣。文摯至,不解屨登床,履王衣,問王之疾,王怒而不與言。文摯因出辭以重怒王,王叱而起,疾乃遂已。王大怒不說,將生烹文摯。太子與王后急爭之而不能得,果以鼎生烹文摯。爨之三日三夜,顏色不變。文摯曰:“誠欲殺我,則胡不覆之,以絕陰陽之氣。”王使覆之,文摯乃死。夫忠於治世易,忠於濁世難。文摯非不知活王之疾而身獲死也,為太子行難以成其義也。
新字:斉王疾痏,使人之宋迎文摯。文摯至,視王之疾,謂太子曰:“王之疾必可已也。雖然,王之疾已,則必殺摯也。”太子曰:“何故?”文摯対曰:“非怒王則疾不可治,怒王則摯必死。”太子頓首彊請曰:“苟已王之疾,臣与臣之母以死争之於王,王必幸臣与臣之母,願先生之勿患也。”文摯曰:“諾。請以死為王。”与太子期,而将往不当者三,斉王固已怒矣。文摯至,不解屨登床,履王衣,問王之疾,王怒而不与言。文摯因出辞以重怒王,王叱而起,疾乃遂已。王大怒不説,将生烹文摯。太子与王后急争之而不能得,果以鼎生烹文摯。爨之三日三夜,顔色不変。文摯曰:“誠欲殺我,則胡不覆之,以絶陰陽之気。”王使覆之,文摯乃死。夫忠於治世易,忠於濁世難。文摯非不知活王之疾而身獲死也,為太子行難以成其義也。
書き下し
齊王痟を疾む。人をして宋に之き文摯を迎えしむ。文摯至り、王の疾を視て、太子に謂いて曰く、「王の疾は必ず已ゆ可きなり。然りと雖も、王の疾已えなば、則ち必ず摯を殺さん。」太子曰く、「何の故ぞ。」文摯對えて曰く、「王を怒らすに非ざれば、則ち疾治む可からず。王怒らせば、則ち摯必ず死せん。」太子頓首して彊いて請いて曰く、「苟しくも王の疾を已やさば、臣と臣の母と、死を以て之を王に争わん。王必ず臣と臣の母とを幸まん。願わくは先生の患うる勿らんことを。」文摯曰く、「諾。請う死を以て王を為めん。」太子と期して、將に往かんとして、當らざること三たび。齊王固より已に怒れり。文摯至り、屨を解かずして牀に登り、王の衣を履み、王の疾を問う。王怒りて與に言わず。文摯因りて辭を出だして以て重ねて王を怒らす。王叱して起ち、疾乃ち遂に已えたり。王大いに怒りて悅ばず。將に生きながら文摯を烹んとす。太子と王后と、急に之を爭えども得ること能わず。果して鼎を以て生きながら文摯を烹る。之を爨すること三日三夜、顏色變ぜず。文摯曰く、「誠に我を殺さんと欲せば、則ち胡ぞ之を覆いて、以て陰陽の氣を絶たざる。」王之を覆わしむ。文摯乃ち死す。夫れ治世に忠なるは易く、濁世に忠なるは難し。文摯、王の疾を活かさば身死を獲ることを知らざるに非ざるなり。太子の為に難を行いて以て其の義を成すなり。
現代語訳
斉王が激しい頭痛を病みました。人を宋にやって名医の文摯を迎えさせました。文摯は来て王の病を診ると、太子に言いました、「王の病は必ず治せます。しかしながら、王の病が治れば、王は必ずこの摯を殺すでしょう」。太子が「なぜですか」と問うと、文摯は答えました、「王を怒らせなければこの病は治せません。だが王を怒らせれば、この摯は必ず殺されます」。太子は頭を地につけて強く願い、「もし王の病を治してくださるなら、私と私の母とが、命がけで王に諫めます。王は必ず私と母を憐れむでしょう。どうか先生はご心配なさいませんように」と言いました。文摯は「わかりました。命がけで王を治しましょう」と言いました。そして太子と約束をしながら、行くと言って現れないことが三度に及びました。斉王はもとよりすでに怒っていました。文摯は来ると、履物も脱がずに寝台に登り、王の衣を踏みつけ、王の病を尋ねました。王は怒って口をきこうとしません。文摯はそこでわざと乱暴な言葉を吐いて、さらに王を怒らせました。王は怒鳴って立ち上がり、病はついに治りました。王は激しく怒って機嫌を直さず、文摯を生きたまま煮殺そうとしました。太子と王后が必死に争って止めようとしましたが叶わず、ついに鼎で文摯を生きたまま煮ました。三日三晩煮ても、その顔色は変わりませんでした。文摯は言いました、「本当に私を殺したいなら、なぜ蓋をして陰陽の気を断たないのか」。王が蓋をさせると、文摯はやっと死にました。そもそも治まった世で忠を尽くすのはたやすく、濁った世で忠を尽くすのは難しいものです。文摯は、王の病を治せば自分が死ぬと知らなかったのではありません。太子のために困難をあえて引き受け、その義を成し遂げたのです。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『弁名』義人多く礼の先王の礼為るを知りて、義も亦た先王の義為るを知らず。故に其の解皆通ぜず。蓋し義は道の分なり。千差万別、各〻宜しき所有り。故に曰く、「義は宜なり」と。先王既に其の千差万別なる者を以て、制して以て礼と為す。学者猶ほ其の之を制する所以の意を伝ふ。是れ所謂礼の義なり。而して其の空言を以て伝ふる者、是れ所謂義なり。故に礼義は皆古より之を伝ふ。豈に先王の義に非ずや。
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『武士訓』卷三・第6段たとえば。人ありて。命を千貫萬貫にかへんかといふとも。かゆるものあるべからず。さほど大切なる命なれども。義によつて拋こと。塵よりも輕し。しかるときは。義ほどにおもきもの。世にあるべからず。源致雄歌に「いのちをばかろきになしてものゝふの道よりおもき道やらめやは(風雅集に見えたり。)
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『講孟余話』盡心上 第三十四章是れ上章「其の有に非ずして之を取るは義に非ず」と云ふに因りて、陳仲子の義、大義とするに足らず、只是れ簞食豆羹を舎つるの義なるを云ふ。陳仲子の事は、滕文公下篇末章に詳らかなり。仲子兄を避け母を離れ、吾が禄を食はず、これ親戚・君臣・上下を亡みするなり。已に人の大倫を外したる人なれば、他の小義は復た云ふに足る者なし。今斉国大なる如しと云へども、畢竟簞食豆羹と異なることなし。孟子論ずる所は物の大小に非ず、乃ち義の大小なり。是れを以て知るべし、聖人は人倫の至りにて、聖人の道は又人倫を以て大綱とす。受与の際に至りては、特に其の細目のみ。夷・斉の餓死する如くにして君臣の義あり、匡章の養はれざる如くにして、却つて父子の親ありと知るべし。
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『大和俗訓』巻之七・躬行下一君子の道は、すべき事を行ひ、すまじき事をせず。これ義なり。好むべき事を好み、好むまじき事を好まず。是善なり。君子の道はかくの如きのみ。是孟子の語意なり。一人の知は目のごとし。人の目はよく百里の外を見れども、わが睫を見がたし。人の智よく他人の悪を知れども、わが身の悪を知らず。人をみることは常に明なり。私なければなり。自ら見ることは常にくらし。私あればなり。ここを以て、人の過をせむる事はきびしく、わが悪をゆるす事はゆるやかなり。
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『五常訓』巻之四・義一中庸曰く、義は宜なり、賢を尊ぶを大なりと為す。朱子章句に云く、宜とは事理を分別して、各宜しき所有るなり。周子も、宜を義と曰ふ。釈名曰く、義は宜なり、事物を裁制して、宜しきに合はしむるなり。諸説皆宜しきを以て義とす。宜しきとは、万事万物の品にしたがひ、其理をわきまへて、相応するを云ふ。朱子は、義は心の制、事の宜といへり。制とは、たちわかつ意。裁判するなり。心の制とは、心中に善悪をわかつ所の理あるを云ふ。義の心にあるは、利刀の如し。物来れば、刀を以てたてば二となる。善悪を決断する事、かくの如し。是心の制なり。義の体とす。事之宜とは、諸事に相応して、其理の宜しきにしたがふを云ふ。是義の用とす。事之宜は、心の制ありて、善悪をたちわかちて後の事なり。人を愛するは仁なり。
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『晏子春秋』雑上・崔慶劫齊將軍大夫盟晏子不與崔杼既に莊公を弑して景公を立て、杼と慶封と之を相け、諸将軍大夫、及び顕士庶人を太宮の坎上に劫し、盟わざるを得ざらしむ。壇を為ること三仞、其の下を塪り、甲千を以て列ねて其の内外を環らす。盟う者皆剣を脱して入る。維だ晏子のみ肯んぜず、崔杼之を許す。敢えて盟わざる者有らば、戟其の頸を鉤し、剣其の心を承く。自ら盟わしめて曰く、「崔・慶に与せずして、公室に与する者は、其の不祥を受けん」と。言疾からず、指血に至らざる者は死す。殺す所七人。次いで晏子に及ぶ。晏子杯血を奉じ、天を仰ぎて歎じて曰く、「嗚呼。崔子は無道を為して其の君を弑す。公室に与せずして崔・慶に与する者は、此の不祥を受けん」と。俛して血を飲む。崔杼、晏子に謂いて曰く、「子、子の言を変えれば、則ち斉国は吾子と之を共にせん。子の言を変えざれば、戟既に脰に在り、剣既に心に在り、維だ子之を図れ」と。晏子曰く、「吾を劫すに刃を以てして其の志を失うは、勇に非ざるなり。吾を回すに利を以てして其の君に倍くは、義に非ざるなり。崔子、子独り夫の詩を為まざるか。詩に云う、『莫莫たる葛藟、条枚に施く。愷悌たる君子、福を求めて回ならず』と。今嬰且に以て回りて福を求む可けんや。曲刃もて之を鉤し、直兵もて之を推すとも、嬰は革まらず」と。

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