呂氏春秋 / 至忠①
至忠逆於耳、倒於心,非賢主其孰能聽之?故賢主之所說,不肖主之所誅也。人主無不惡暴劫者,而日致之,惡之何益?今有樹於此,而欲其美也,人時灌之,則惡之,而日伐其根,則必無活樹矣。夫惡聞忠言,乃自伐之精者也。
新字:至忠逆於耳、倒於心,非賢主其孰能聴之?故賢主之所説,不肖主之所誅也。人主無不悪暴劫者,而日致之,悪之何益?今有樹於此,而欲其美也,人時灌之,則悪之,而日伐其根,則必無活樹矣。夫悪聞忠言,乃自伐之精者也。
書き下し
至忠は耳に逆らい、心に倒らう。賢主に非ざれば、其れ孰か能く之を聽かんや。故に賢主の悅ぶ所は、不肖の主の誅する所なり。人主、暴劫を惡まざる者無くして、而も日々之を致す。之を惡むとも何の益かあらん。今此に樹有りて、其の美ならんことを欲するも、人時に之に灌がば、則ち之を惡み、而して日に其の根を伐らば、則ち必ず活樹無からん。夫れ忠言を聞くことを惡むは、乃ち自ら伐ることの精だしき者なり。
現代語訳
この上ない忠言は耳にさからい、心にもさからうものです。賢明な君主でなければ、いったい誰がこれを聞き入れられるでしょうか。ですから賢主が喜ぶことは、愚かな君主が罰することでもあるのです。君主は誰しも荒々しく脅かす者を憎まないことはありませんが、それでいて日々そういう事態を招いています。それを憎んでも何の益がありましょう。今ここに木があって、それを見事に育てたいと思いながら、人が時々水をやると憎み、毎日その根を切ったなら、必ず生きた木は残りません。そもそも忠言を聞くのを憎むのは、自分で自分を切りそこなうことの最もはなはだしいものなのです。
解説
この段は「至忠」篇の総論で、最上の忠言ほど君主の耳と心にさからうという逆説を述べます。要点は、賢主だけが耳に痛い諫言を聞き入れられ、それを退ける君主は自ら破滅を招くということです。木を育てたいと願いながら根を切る比喩が印象的で、忠言を憎むことは自分の土台を掘り崩す最悪の愚行だと戒めます。背景には、諫言を容れるか否かを君主の賢愚を分ける基準とする戦国期の政治思想があります。耳に痛い意見こそ組織の健全さを保つという教えは、現代のリーダーシップやフィードバック文化にも直に通じます。
この章句が説くこと
至忠忠言諫言賢主逆耳リーダーシップ
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