呂氏春秋 / 異寶④
今以百金與摶黍以示兒子,兒子必取摶黍矣;以龢氏之璧與百金以示鄙人,鄙人必取百金矣;以龢氏之璧、道德之至言以示賢者,賢者必取至言矣。其知彌精,其所取彌精;其知彌觕,其所取彌觕。
新字:今以百金与摶黍以示児子,児子必取摶黍矣;以龢氏之璧与百金以示鄙人,鄙人必取百金矣;以龢氏之璧、道徳之至言以示賢者,賢者必取至言矣。其知弥精,其所取弥精;其知弥觕,其所取弥觕。
書き下し
今百金と摶黍とを以て、以て兒子に示さば、兒子必ず摶黍を取らん。龢氏の璧と百金とを以て、以て鄙人に示さば、鄙人必ず百金を取らん。龢氏の璧と道德の至言とを以て、以て賢者に示さば、賢者必ず至言を取らん。其の知彌々精しければ、其の取る所彌々精しく、其の知彌々觕ければ、其の取る所彌々觕し。
現代語訳
今、百金と黍のにぎり飯とを幼子に見せれば、幼子は必ずにぎり飯を取るだろう。和氏の璧と百金とを教養のない者に見せれば、その者は必ず百金を取るだろう。和氏の璧と道徳についての至言とを賢者に見せれば、賢者は必ず至言を取るだろう。その知恵が精妙であるほど、選び取るものも精妙であり、その知恵が粗雑であるほど、選び取るものも粗雑である。
解説
幼子はにぎり飯を、俗人は百金を、賢者は道徳の至言を選ぶという三段の対比で、人が何を宝とするかはその知恵の水準に応じると説きます。同じ選択肢を前にしても、認識の精粗によって価値の序列が変わることを示し、異寶篇全体を貫く「宝とするものが異なる」という主題を理論的に締めくくります。孫叔敖・江上の丈人・子罕の逸話が、いずれも知恵の高さゆえに世俗と異なる宝を選んだことの一般化といえます。現代でも、目先の富より知や徳を重んじる価値観は、何を大切にするかがその人の見識を映すという教訓として響きます。
この章句が説くこと
和氏の璧至言摶黍知の精粗賢者異宝
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