臣軌 / 卷下 廉潔章
宋人或得玉、獻諸司城子罕。子罕不受。獻玉者曰:“以示玉人、玉人以為寶、故敢獻之。”子罕曰:“我以不貪為寶、爾以玉為寶。若以與我、皆喪寶也、不若人有其寶。”
新字:宋人或得玉、献諸司城子罕。子罕不受。献玉者曰:“以示玉人、玉人以為宝、故敢献之。”子罕曰:“我以不貪為宝、爾以玉為宝。若以与我、皆喪宝也、不若人有其宝。”
書き下し
宋人、或るひと玉を得て、これを司城子罕に献ず。子罕受けず。玉を献ずる者曰く、「以て玉人に示すに、玉人以て宝と為す。故に敢えてこれを献ず」と。子罕曰く、「我は不貪を以て宝と為し、爾は玉を以て宝と為す。もし以て我に与えば、皆な宝を喪うなり。人おのおのその宝を有つに若かず」と。
現代語訳
宋のある人が玉を手に入れ、司城の子罕に献上した。子罕は受け取らなかった。献上した者が言った。「玉職人に見せたところ、職人がこれを宝だと言いました。だからあえて献上したのです」。子罕は言った。「私は貪らないことを宝としており、あなたは玉を宝としている。もしそれを私に与えれば、二人とも宝を失うことになる。それぞれが自分の宝を持っているほうがよい」。
解説
贈り物の断り方として、これ以上のものはなかなかない。相手の善意を否定せず、相手の価値観も否定せず、しかし受け取らない。「私は貪らないことを宝としている、あなたは玉を宝としている。渡せば二人とも宝を失う」——受け取れば自分は廉を失い、相手は玉を失う。二人とも損をするのだから受け取らないほうがよい、という論法である。断る理由を規則や立場に求めていないところが効いている。同じ章には、季文子が上卿でありながら妾に絹を着せず馬に粟を食わせなかった話、韓宣子の貧しさを叔向が祝った話も並ぶ。
この章句が説くこと
不貪を宝と為す子罕皆な宝を喪う贈り物の断り方
関連する章句
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呂氏春秋・異寶③宋の野人、耕して玉を得たり。之を司城子罕に獻ずるも、子罕受けず。野人請いて曰く、「此れ野人の寶なり。願わくは相國之が賜と為して之を受けよ。」子罕曰く、「子、玉を以て寶と為し、我、受けざるを以て寶と為す。」故に宋國の長者曰く、「子罕は寶無きに非ず。寶とする者異なるなり。」
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説苑・尊賢宋の司城子罕の子韋を貴ぶや、入りては与に食を共にし、出でては与に衣を同じくす。司城子罕亡ぐるに、子韋従わず。子罕来たるに、復た子韋を召して之を貴ぶ。左右曰く、「君の子韋を善くするや、君亡げて従わず、来たれば又復た之を貴ぶ、君独り君の忠臣に愧じざるか」と。子罕曰く、「吾唯だ子韋を用いる能わざりしが故に、亡ぐるに至れり。今吾の復するを得るは、尚お是れ子韋の遺徳余教なり、吾故に之を貴ぶ。且つ我の亡ぐるや、吾が臣の跡を削り樹を抜きて以て我に従いし者、奚ぞ吾が亡ぐるに益あらんや」と。
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説苑・反質經侯往きて魏の太子に適く、左に羽玉具の劍を帶び、右に環佩を帶び、左の光右を照らし、右の光左を照らす。坐すること頃有るも、太子視ざるなり、又問わざるなり。經侯曰く、「魏國も亦寶有りや?」太子曰く、「有り。」經侯曰く、「其の寶は何如?」太子曰く、「主信じ臣忠にして、百姓上に戴く。此れ魏の寶なり。」經侯曰く、「吾が問う所は、是を之れ謂うに非ざるなり。乃ち其の器を問うのみ。」太子曰く、「有り。徒師沼魏を治めて市に豫賈無く、郤辛陽を治めて道に遺を拾わず、芒卯朝に在りて四鄰の賢士相い因りて見えざる無し。此の三大夫は乃ち魏國の大寶なり。」是に於て經侯默然として應えず、左に玉具を解き、右に環佩を解き、之を坐に委て、愆然として起ち、默然として謝せず、趨りて出で、車に上りて驅け去る。魏の太子騎をして劍佩を操りて經侯を逐わしめ、經侯に告げしめて曰く、「吾德の寶とする所無く、珠玉の守る所と為る能わず、此れ寒に衣るべからず、飢えに食らうべからず、我に賊を遺す無かれ。」と。是に於て經侯門を杜じて出でず、死を傳う。
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『臣軌』卷下 廉潔章清静無為なれば、則ち天これに時を与う。恭廉節を守れば、則ち地これに財を与う。君子は富貴と雖も、養を以て身を傷つけず。貧賤と雖も、利を以て廉を毀たず。吏たるを知る者は、法を奉じて以て人を利す。吏たるを知らざる者は、法を枉げて以て人を侵す。官を理むるは平に如くは莫く、財に臨むは廉に如くは莫し。廉平の徳は、吏の宝なり。
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