呂氏春秋 / 知士①
今有千里之馬於此,非得良工,猶若弗取。良工之與馬也,相得則然後成。譬之若枹與鼓。夫士亦有千里,高節死義,此士之千里也。能使士待千里者,其惟賢者也。
新字:今有千里之馬於此,非得良工,猶若弗取。良工之与馬也,相得則然後成。譬之若枹与鼓。夫士亦有千里,高節死義,此士之千里也。能使士待千里者,其惟賢者也。
書き下し
今千里の馬此に有り。良工を得るに非ざれば、猶若として取らず。良工と馬と、相得て則ち然る後成る。之を譬うるに、枹と鼓との若し。夫れ士にも亦た千里有り。高節にして義に死するは、此れ士の千里なるなり。能く士をして千里を行わしむる者は、其れ惟だ賢者のみなり。
現代語訳
今ここに一日千里を走る名馬がいるとする。しかし優れた御者を得なければ、名馬は悠然としているだけで、その能力を発揮しない。優れた御者と名馬とは、互いに得てはじめて千里の能力が成り立つ。これを譬えれば、ばちと太鼓のようなものだ。そもそも士(人材)にも「千里」がある。高い節操を保ち、義のために死ぬこと、これが士の「千里」である。士にこの「千里」を行わせることができる者は、ただ賢者だけである。
解説
「知士」篇の総論で、優れた人材はそれを活かす者があってこそ真価を発揮すると説きます。要点は、千里の馬も名御者がなければ走らないように、傑出した士も賢明な主君に用いられてはじめて高節・死義という本領を発揮するという比喩です。背景として、戦国期は人材登用が国の興亡を左右した時代であり、才能を見抜き活かす「知士(士を知る)」の重要性が説かれました。ばちと太鼓の譬えは、両者の呼応関係を示します。現代でも、優れた人材は活かす環境やリーダーがあってこそ力を発揮するという教訓は、組織づくりや登用に通じます。
この章句が説くこと
知士千里の馬良工高節死義賢者人材登用
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