史記 / 周本紀
西伯曰文王,遵后稷、公劉之業,則古公、公季之法,篤仁,敬老,慈少。禮下賢者,日中不暇食以待士,士以此多歸之。伯夷、叔齊在孤竹,聞西伯善養老,盍往歸之。太顛、閎夭、散宜生、鬻子、辛甲大夫之徒皆往歸之。
新字:西伯曰文王,遵后稷、公劉之業,則古公、公季之法,篤仁,敬老,慈少。礼下賢者,日中不暇食以待士,士以此多帰之。伯夷、叔斉在孤竹,聞西伯善養老,盍往帰之。太顛、閎夭、散宜生、鬻子、辛甲大夫之徒皆往帰之。
書き下し
西伯を文王と曰ふ、后稷・公劉の業に遵ひ、古公・公季の法に則り、篤仁にして、老を敬し、少を慈しむ。賢者に礼下し、日中食らふに暇あらずして以て士を待つ、士此を以て多く之に帰す。伯夷・叔齊孤竹に在り、西伯善く老を養ふを聞き、盍ぞ往きて之に帰せざらんと。太顛・閎夭・散宜生・鬻子・辛甲大夫の徒皆往きて之に帰す。
現代語訳
西伯は文王という。后稷・公劉の業を守り、古公・公季の法に則り、篤実で情け深く、老人を敬い、若者を慈しんだ。賢者には礼を尽くしてへりくだり、昼になっても食事をとる暇もないほど士を待遇した。そのため士の多くが彼のもとへ集まった。伯夷と叔齊は孤竹にいたが、西伯が老人をよく養うと聞き、行って身を寄せようと言った。太顛・閎夭・散宜生・鬻子・辛甲といった大夫たちも、みな行って彼に身を寄せた。
解説
「へりくだって賢者を遇し、食事の暇も惜しんで人材を迎える——だから、優れた人が集まる」——周の文王が、天下の人望を集めた理由を描いた一段です。周の西伯、すなわち文王は、先祖の遺した善政の道を受け継ぎ、その人柄は、篤い仁愛に満ちていました。「老人を敬い、若者を慈しんだ(敬老、慈少)」。とりわけ際立っていたのは、優れた人材(賢者)に対する、その姿勢です。「賢者に対しては、(自分が上位者でありながら)へりくだって礼を尽くし(禮下賢者)、(人材を迎えることに熱心なあまり)日中、食事をとる暇もないほどに、(訪ねてくる)士を、(丁重に)待遇した(日中不暇食以待士)」。高い地位にありながら、少しも偉ぶらず、へりくだって、一人ひとりの人材を、心を込めて迎えたのです。「士人たちは、これゆえに、こぞって文王のもとへ帰服した(士以此多歸之)」。その徳を慕って、あの伯夷・叔斉のような高潔の士までもが「西伯は老人をよく養うと聞く。行って身を寄せようではないか」と集まり、太顛・閎夭・散宜生といった有能な人材が、続々と文王のもとに集ったのです。この人材の充実こそが、後の周の天下取りの、大きな力となりました。ここに、人材を集めることについての教訓があります。第一に、優れた人材を集めるには、地位や権力で招くのではなく、上に立つ者自身が、へりくだって、礼を尽くして遇すること(禮下賢者)。高い地位にある者が、偉ぶらず、一人ひとりの人材に敬意をもって接する——その謙虚さが、人の心を動かす。第二に、人材を迎えることに、食事の暇も惜しむほどの、真剣さと熱意を持つこと(日中不暇食以待士)。人材登用を、片手間ではなく、最重要の仕事として、全力で取り組む。第三に、そうした姿勢は、自然と評判となって広まり、遠方の優れた人材までも、自ら進んで集まってくるということ(士以此多歸之)。人材は、追い集めるものではなく、その徳と姿勢を慕って、向こうから集まってくる。組織や経営で、地位でなくへりくだった礼で人材を遇すること、人材登用に食事の暇も惜しむ真剣さで取り組むこと、そしてその姿勢が評判となり優れた人が自ら集まると理解すること——文王の人材登用は、人が集まるリーダーの条件を教えます。
この章句が説くこと
周文王礼下賢者へりくだって賢者を遇する日中不暇食以待士人材登用への熱意地位でなく謙虚さで人を集める
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