呂氏春秋 / 季秋⑤
是月也,天子乃教於田獵,以習五戎。獀馬。命僕及七騶咸駕,載旍旐輿,受車以級,整設于屏外,司徒搢扑,北嚮以誓之。天子乃厲服厲飭,執弓操矢以射。命主祠,祭禽於四方。
新字:是月也,天子乃教於田猟,以習五戎。獀馬。命僕及七騶咸駕,載旍旐輿,受車以級,整設于屏外,司徒搢扑,北嚮以誓之。天子乃厲服厲飭,執弓操矢以射。命主祠,祭禽於四方。
書き下し
是の月や、天子乃ち田獵を教えて、以て五戎を習わせ、馬を獀ぶ。僕及び七騶に命じ咸駕し、旍旐を載て、輿は車を受くるに級を以てし、整えて屏外に設ぬ。司徒、扑を搢み、北に嚮いて以て之に誓う。天子乃ち厲服厲飭し、弓を執り矢を操りて以て射る。主祠に命じて、禽を四方に祭らしむ。
現代語訳
この月には、天子は狩猟を教えて五種の武器の扱いを習わせ、軍馬を選ぶ。車を司る僕と馬を司る七騶に命じてみな車を駕させ、亀蛇を描いた旗を立て、田猟に参加する者たちには身分の序列に従って車を割り当て、屏(へい)の外に整えて並べる。司徒は鞭を腰に挟み、北を向いて彼らに誓わせる。天子はいかめしく武装し、弓を取り矢を操って射る。祭祀を司る官に命じて、獲物を四方の神に祭らせる。
解説
季秋に行われる軍事訓練としての狩猟(田猟)の時令です。要点は、狩りを通じて武器の扱いと軍馬の選別を訓練し、身分秩序に従って隊列を組む軍事演習の様子です。背景として、古代の狩猟は単なる遊興ではなく、軍隊の編成・規律・武技を磨く重要な軍事訓練であり、獲物を神に供える祭祀とも結びついていました。司徒の誓いは軍規の徹底を意味します。現代でも、平時に規律ある訓練を積み、有事に備えるという発想は、危機管理や組織の即応態勢づくりに通じます。
この章句が説くこと
田猟五戎軍馬司徒軍事訓練規律
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