呂氏春秋 / 大樂④
大樂,君臣父子長少之所懽欣而說也。歡欣生於平,平生於道。道也者,視之不見,聽之不聞,不可為狀。有知不見之見、不聞之聞,無狀之狀者,則幾於知之矣。道也者,至精也,不可為形,不可為名,(疆)〔彊〕為之〔名〕謂之太(乙)〔一〕。故一也者制令,兩也者從聽。先聖擇兩法一,是以知萬物之情。故能以一聽政者,樂君臣,和遠近,說黔首,合宗親。能以一治其身者,免於災,終其壽,全其天。能以一治其國者,姦邪去,賢者至,(成大化)〔大化成〕。能以一治天下者,寒暑適,風雨時,為聖人。故知一則明,明兩則狂。
新字:大楽,君臣父子長少之所懽欣而説也。歓欣生於平,平生於道。道也者,視之不見,聴之不聞,不可為状。有知不見之見、不聞之聞,無状之状者,則幾於知之矣。道也者,至精也,不可為形,不可為名,(疆)〔彊〕為之〔名〕謂之太(乙)〔一〕。故一也者制令,両也者従聴。先聖択両法一,是以知万物之情。故能以一聴政者,楽君臣,和遠近,説黔首,合宗親。能以一治其身者,免於災,終其寿,全其天。能以一治其国者,姦邪去,賢者至,(成大化)〔大化成〕。能以一治天下者,寒暑適,風雨時,為聖人。故知一則明,明両則狂。
書き下し
大樂は君臣父子長少の歡欣して説ぶ所なり。歡欣は平に生じ、平は道に生ず。道なる者は、之を視れども見えず、之を聽けども聞こえず、狀を為す可からず。不見の見、不聞の聞、無狀の狀を知る者有れば、則ち之を知るに幾し。道なる者は、至精なり。形を為す可からず、名を為す可からず、彊いて之が名を為して、之を太一と謂う。故に一なる者は令を制し、兩つなる者は聽に從う。先聖は兩を擇て一に法る。是を以て萬物の情を知る。故に能く一を以て政を聽く者は、君臣を樂しませ、遠近を和らげ、黔首を説ばせ、宗親を合わす。能く一を以て其の身を治むる者は、災いを免れ、其の壽を終え、其の天を全うす。能く一を以て其の國を治むる者は、姦邪去り、賢者至り、大化を成す。能く一を以て天下を治むる者は、寒暑適い、風雨時ありて、聖人と為る。故に一を知れば則ち明ならん。兩を明らかにすれば則ち狂わん。
現代語訳
真の音楽(大樂)は、君臣・父子・年長者と年少者が共に喜び楽しむものである。喜びは平から生まれ、平は道から生まれる。道というものは、見ようとしても見えず、聞こうとしても聞こえず、形にすることができない。見えないものの見え方、聞こえないものの聞こえ方、形のないものの形を知る者があれば、道を知るのに近い。道は至って精妙で、形にも名にもできず、しいて名づけて「太一」という。だから一なるものは命令を発し、二なるものはそれに従う。いにしえの聖人は二を捨てて一に則り、そうして万物の実情を知った。だから一によって政を執る者は君臣を楽しませ、遠近を和らげ、民を喜ばせ、親族を和合させる。一によって身を治める者は災いを免れ、天寿を全うする。一によって国を治める者は、姦邪が去り賢者が集まり、大いなる教化が成る。一によって天下を治める者は、寒暑がほどよく風雨が時に従い、聖人となる。だから一を知れば明らかになり、二を明らかにしようとすれば乱れる。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『童子問』卷上問ふ、易知易行・万世不易の理の、実に至極為ることは、既に命を聞くことを得たり。然れども心中猶ほ未だ釈然たること能はず。願はくは易く暁りやすきの語を以て、申ねて諭を垂れよと。曰く、人の外に道無く、道の外に人無し。人を以て人の道を行ふ、何の難知難行か之れ有らん。夫れ人の霊を以てすと雖も、然れども羽ある者の翔り、鱗ある者の潜るが若くなること能はざる者は、其の性異なればなり。堯の服を服し、堯の行ひを行ひ、堯の言を誦するに於ては、則ち復た甚だ難き者無し。其の道同じければなり。故に孟子曰く、夫れ道は一のみと。若し夫れ人倫を外にして道を求むる者は、猶ほ風を捕へ影を捉ふるがごとく、必ず得べからざるなり。故に道を知る者は、必ず之を邇きに求む。其の道を以て高しと為し、遠しと為し、企て及ぶべからずと為す者は、皆道の本然に非ず、自ら惑ふの致す所なり。
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『弁名』理氣人欲包犠氏網罟を為る、蓋し諸を離に取る、神農氏耒耜を為る、蓋し諸を益に取るが如し。易は本と象を取りて器を作るの義有り。故に爾か云ふ。形而上は、器未だ形を成さざる以前、唯だ易の道有るのみを謂ふ。其の形を成すの後に至りて、始めて其の器有り。皆器を制するを主として之を言ふ。下文遂に曰く、「化して之を裁する、之を変と謂ふ。推して之を行ふ、之を通と謂ふ。挙げて之を天下の民に措く、之を事業と謂ふ」と。是れ皆易を賛するの言なり。道器変通事業は、皆易を以て之を言ふのみ。上章に「戸を闔づる之を坤と謂ひ、戸を闢く之を乾と謂ふ。一たび闔ぢ一たび闢く之を変と謂ひ、往来窮まらざる之を通と謂ふ。見はるる乃ち之を象と謂ひ、形はるる乃ち之を器と謂ふ。制して之を用ふる之を法と謂ひ、利用出入して民咸之を用ふる之を神と謂ふ」と曰ふが如きも、是れ又た道器を以て対言せず。其の義以て見るべきのみ。豈に大謬に非ずや。
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『慎思録』巻之四術者の陋なり。陰陽を指して道と為すは、猶ほ天地を指して道と為し、聖人を指して道と為すがごとし。此れ道の在る所を以て言ふ。其の実、天地陰陽は即ち是れ道の存する所にして、還た是れ道中に在る所の物なり。蓋し道を以て主と為して之を言へば、則ち天地万物は皆是れ道中の物なり。天地万物を以て主と為して之を言へば、則ち道は天地万物の中に在りて、之が主為る者なり。陰陽の如きは、則ち又天地万物の比に非ず。同異離合を以て之を言ふべからず。故に易に陰陽を以て道を言ふは、此を以てなり。
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『弁名』理氣人欲仁斎先生曰く、「道は行ふ所を以て言ふ、活字なり。理は存する所を以て言ふ、死字なり。聖人は道を見ること実なり、故に其の理を説くや活なり。老氏は道を見ること虚なり、故に其の理を説くや死なり」と。又た曰く、「道は本と活字、其の生生化化の妙を形容する所以なり。理の字の若きは本と死字、玉に従ひ里に従ふ、玉石の文理を謂ふ。以て事物の条理を形容すべくして、以て天地生生化化の妙を形容するに足らず」と。此等の議論、皆痴人の夢を説くが如し。
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『弁名』道小人の道長ずと曰ひ、戎狄の道と曰ふ者有り。皆其の由る所を以て俗を成し、自ら一道有るに似たり。故に之を言ふ。善人の道と曰ひ、父の道を改むること無しと曰ふ者有り。亦た其の由る所を言ふのみ。必ずしも先王の道ならず。凡そ其の意此を以て道と為して之に由る者なり。是の道や何ぞ以て臧しとするに足らんと曰ふ者有り。詩書礼楽は、皆先王の道なり。故に一言半句と雖も亦た称して道と為すのみ。
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『慎思録』巻之三聖人の道は、本自ら分明なり。故に夫婦の愚も、以て与り知るべし。本自ら簡易なり。故に夫婦の不肖も、以て能く行ふべし。然れども世に之を知り之を行ふ者鮮きは、何ぞや。蓋し教無く習無きに因るなり。

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