師導古典を学びたいすべての人に

呂氏春秋 / 尊師②

且天生人也,而使其耳可以聞,不學,其聞不若聾;使其目可以見,不學,其見不若盲;使其口可以言,不學,其言不若爽;使其心可以知,不學,其知不若狂。故凡學,非能益也,達天性也。能全天之所生而勿敗之,是謂善學。子張,魯之鄙家也;顏涿聚,梁父之大盜也;學於孔子。(叚)〔段〕干木,晉國之大駔也,學於子夏。高何、縣子石,齊國之暴者也,指於鄉曲,學於子墨子。索盧參,東方之鉅狡也,學於禽滑黎。此六人者,刑戮死辱之人也,今非徒免於刑戮死辱也,由此為天下名士顯人,以終其壽,王公大人從而禮之,此得之於學也。

新字:且天生人也,而使其耳可以聞,不學,其聞不若聾;使其目可以見,不學,其見不若盲;使其口可以言,不學,其言不若爽;使其心可以知,不學,其知不若狂。故凡學,非能益也,達天性也。能全天之所生而勿敗之,是謂善學。子張,魯之鄙家也;顏涿聚,梁父之大盗也;學於孔子。(叚)〔段〕干木,晉国之大駔也,學於子夏。高何、県子石,斉国之暴者也,指於鄉曲,學於子墨子。索盧参,東方之鉅狡也,學於禽滑黎。此六人者,刑戮死辱之人也,今非徒免於刑戮死辱也,由此為天下名士顕人,以終其寿,王公大人従而礼之,此得之於學也。

書き下し

且つ天の人を生ずるや、而ち其の耳をして以て聞く可からしむるも、學ばざれば、其の聞くこと聾に若かず。其の目をして以て見る可からしむるも、學ばざれば、其の見ること盲に若かず。其の口をして以て言う可からしむるも、學ばざれば、其の言うこと爽に若かず。其の心をして以て知る可からしむるも、學ばざれば、其の知ること狂に若ず。故に凡そ學は、能く益するに非ざるなり。天性に達するなり。能く天の生ずる所を全うして、之を敗ること勿き、是を學を善くすと謂う。子張は、魯の鄙家なり。顏涿聚は、梁父の大盜なり、孔子に學ぶ。段干木は、晉國の大駔なり、子夏に學ぶ。高何・縣子石は、齊國の暴者なり、郷曲に指ささるも、子墨子に學ぶ。索盧參は、東方の鉅狡なり、禽滑黎に學ぶ。此の六人、刑戮死辱の人なり、今、徒だに刑戮死辱を免るるのみに非ず、此に由りて天下の名士顯人と為り、以て其の壽を終え、王公大人も從いて之を禮す。此れ之を學に得ればなり。

現代語訳

そもそも天が人を生むとき、耳は聞けるようにできているが、学ばなければその聞こえは聾者にも及ばない。目は見えるようにできているが、学ばなければその見えは盲人にも及ばない。口は話せるようにできているが、学ばなければその言葉は口のきけない者にも及ばない。心は知ることができるようにできているが、学ばなければその知は狂人にも及ばない。ゆえにおよそ学問とは、生まれつきにない何かを付け加えるものではなく、天性を十分に発揮させるものである。天が与えた素質を全うして損なわないこと、これを「よく学ぶ」という。子張は魯の卑しい家の者、顔涿聚は梁父の大盗であったが、孔子に学んだ。段干木は晋国の大仲買人であったが、子夏に学んだ。高何と縣子石は斉国の乱暴者で、郷里で後ろ指をさされていたが、墨子に学んだ。索盧參は東方の大詐欺師であったが、禽滑黎に学んだ。この六人は刑罰や恥辱を受けるような人物であったが、今や刑罰や恥辱を免れただけでなく、学問によって天下の名士・高名な人となり、天寿を全うし、王公や高位の人までもが敬意を払うようになった。これは学問によって得たものである。

解説

この段は、学問とは生来の能力を全うさせる営みだと定義し、学びが人を根本から変えることを実例で示します。耳目や口や心は生まれつき備わっていても、学ばなければその働きは損なわれた者にも及ばない、というのが前半の要点です。後半では、盗賊や乱暴者、詐欺師といった悪評高い六人が名師に学び、天下の名士へと生まれ変わった例を挙げます。背景には、学問は天与の素質を引き出すものだという人間観があります。過去や出自にかかわらず、学びによって誰もが変われるという主張は力強く、現代でも、教育の可能性と学び直しの価値を信じる立場を支える教訓として読むことができます。

この章句が説くこと

尊師学問天性子張段干木更生

関連する章句

この一句を、あなたの毎日に。

古典の教えを、今の状況に当てはめて考えてみる——師導があなたの学びと選択を支えます。

師導で古典を学ぶ
いま登録すると、7日間すべての機能を無料でお試しいただけます。 無料ではじめる