了凡四訓 / 謙德之效・人の志有るは、樹の根有るが如し
古語云:有志於功名者,必得功名;有志於富貴者,必得富貴。人之有志,如樹之有根,立定此志,須念念謙虛,塵塵方便,自然感動天地,而造福由我。今之求登科第者,初未嘗有真志,不過一時意興耳;興到則求,興闌則止。孟子曰:王之好樂甚,齊其庶幾乎?予於科名亦然。
新字:古語云:有志於功名者,必得功名;有志於富貴者,必得富貴。人之有志,如樹之有根,立定此志,須念念謙虚,塵塵方便,自然感動天地,而造福由我。今之求登科第者,初未嘗有真志,不過一時意興耳;興到則求,興闌則止。孟子曰:王之好楽甚,斉其庶幾乎?予於科名亦然。
書き下し
古語に云ふ、功名に志有る者は、必ず功名を得。富貴に志有る者は、必ず富貴を得、と。人の志有るは、樹の根有るが如し。此の志を立定して、須らく念念謙虛にして、塵塵方便すべし。自然に天地を感動して、福を造ること我に由る。今の科第に登らんと求むる者は、初めより未だ嘗て真の志有らず、一時の意興に過ぎざるのみ。興到れば則ち求め、興闌くれば則ち止む。孟子曰く、王の樂を好むこと甚だしければ、齊は其れ庶幾からんか、と。予科名に於ても亦た然り。
現代語訳
古い言葉に「功名に志のある者は、必ず功名を得る。富貴に志のある者は、必ず富貴を得る」とあります。人に志があるのは、木に根があるようなものです。この志をしっかり立てたなら、一念ごとに謙虚であり、一つ一つの事ごとに人の便宜をはかるべきです。そうすれば自然に天地を感動させ、福を造ることは自分次第となります。今、科挙に合格しようとする者は、はじめから本当の志があったことがなく、一時の気まぐれにすぎません。興が乗れば求め、興が尽きればやめてしまいます。孟子は「王が音楽を好むことが甚だしければ、斉の国はまず治まるだろう」と言いました。私は科挙の合格についても、同じだと思います。
解説
『了凡四訓』全体を締めくくる一節です。了凡は、志のある者は必ず得るという古語を引き、志を木の根にたとえます。根を張ったうえで、一念ごとに謙虚に、事ごとに人の便宜をはかれば、福を造ることは自分次第になると言います。これに対し、今の受験生の多くは一時の気まぐれで、興が乗れば求め、冷めればやめてしまうと批判します。最後に引かれる孟子の言葉は、王が音楽を好む心を民と共に楽しむ心へ推し広げれば国は治まる、という文脈のものです。好む心が本当に深ければ、そこから道は開けるということでしょう。何かを成し遂げたいとき、それが根のある志なのか、一時の熱なのかを問い直させる結びです。
この章句が説くこと
立志謙虚立命方便志
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