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了凡四訓 / 謙德之效・謙なれば則ち教へを受くるに地有り

由此觀之,舉頭三尺,決有神明;趨吉避凶,斷然由我。須使我存心制行,毫不得罪於天地鬼神,而虛心屈己,使天地鬼神,時時憐我,方有受福之基。彼氣盈者,必非遠器,縱發亦無受用。稍有識見之士,必不忍自狹其量,而自拒其福也。況謙則受教有地,而取善無窮,尤修業者所必不可少者也。

新字:由此観之,舉頭三尺,決有神明;趨吉避凶,断然由我。須使我存心制行,毫不得罪於天地鬼神,而虚心屈己,使天地鬼神,時時憐我,方有受福之基。彼気盈者,必非遠器,縦発亦無受用。稍有識見之士,必不忍自狭其量,而自拒其福也。況謙則受教有地,而取善無窮,尤修業者所必不可少者也。

書き下し

此に由りて之を觀れば、頭を舉ぐること三尺に、決して神明有り。吉に趨き凶を避くるは、斷然として我に由る。須らく我をして心を存し行ひを制し、毫も罪を天地鬼神に得ずして、心を虛しくし己を屈し、天地鬼神をして、時時我を憐れましめて、方めて福を受くるの基有り。彼の氣盈つる者は、必ず遠器に非ず。縱ひ發するも亦た受用無し。稍や識見有るの士は、必ず自ら其の量を狹めて、自ら其の福を拒むに忍びざるなり。況んや謙なれば則ち教へを受くるに地有りて、善を取ること窮まり無し。尤も業を修むる者の必ず少くべからざる所の者なり。

現代語訳

このことから見ると、頭を上げて三尺のところには、必ず神々がいます。吉に向かい凶を避けるのは、きっぱりと自分次第です。自分が心を正しく保ち、行いを律して、少しも天地の神々に罪を得ることなく、心をむなしくして自分を低くし、天地の神々にいつも自分を哀れんでもらうようにして、はじめて福を受ける土台ができるのです。気負いに満ちた者は、決して大きな器ではありません。たとえ世に出ても、その福を受けとめて生かすことはできません。少しでも見識のある人なら、自分から度量を狭めて、自分から福を拒むようなことは、とてもできないはずです。まして謙虚であれば、教えを受け入れる余地があり、善を取り入れることに限りがありません。これは学業を修める者にとって、とりわけ欠かせないものです。

解説

張畏巌の話を受けて、了凡が謙虚の意味をまとめた一節です。「頭を挙ぐること三尺に神明有り」は、人の行いは常に見られているという中国の俗諺で、吉凶は自分次第だという立命の考えと組み合わされています。気負いに満ちた者は大器ではなく、たとえ成功してもそれを生かせないと了凡は言います。福を受けるには、それを入れる器の広さが要るということでしょう。最後の一文が特に大切で、謙虚であれば教えを受け入れる余地があり、善を取り入れることに限りがないとされます。謙虚は単なる礼儀ではなく、学び続けるための条件なのです。成長が止まったと感じるときは、自分が教えを受ける余地をなくしていないかを疑ってみる価値があります。

この章句が説くこと

謙虚受教器量立命修業

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