了凡四訓 / 積善之方・只だ是れ人を愛し人を敬ふの心
何謂愛敬存心?君子與小人,就形迹觀,常易相混,惟一點存心處,則善惡懸絕,判然如黑白之相反。故曰:君子所以異於人者,以其存心也。君子所存之心,只是愛人敬人之心。蓋人有親疏貴賤,有智愚賢不肖;萬品不齊,皆吾同胞,皆吾一體,孰非當敬愛者?愛敬眾人,即是愛敬聖賢;能通眾人之志,即是通聖賢之志。何者?聖賢之志,本欲斯世斯人,各得其所。吾合愛合敬,而安一世之人,即是為聖賢而安之也。
新字:何謂愛敬存心?君子与小人,就形迹観,常易相混,惟一点存心処,則善悪懸絶,判然如黒白之相反。故曰:君子所以異於人者,以其存心也。君子所存之心,只是愛人敬人之心。蓋人有親疏貴賤,有智愚賢不肖;万品不斉,皆吾同胞,皆吾一体,孰非当敬愛者?愛敬衆人,即是愛敬聖賢;能通衆人之志,即是通聖賢之志。何者?聖賢之志,本欲斯世斯人,各得其所。吾合愛合敬,而安一世之人,即是為聖賢而安之也。
書き下し
何をか愛敬心に存すと謂ふ。君子と小人とは、形迹に就きて觀れば、常に相混じ易し。惟だ一點の存心の處は、則ち善惡懸絕し、判然として黑白の相反するが如し。故に曰く、君子の人に異なる所以の者は、其の心を存するを以てなり、と。君子の存する所の心は、只だ是れ人を愛し人を敬ふの心なり。蓋し人に親疏貴賤有り、智愚賢不肖有り。萬品齊しからざるも、皆な吾が同胞、皆な吾が一體なり。孰か當に敬愛すべき者に非ざらん。眾人を愛敬するは、即ち是れ聖賢を愛敬するなり。能く眾人の志に通ずるは、即ち是れ聖賢の志に通ずるなり。何となれば、聖賢の志は、本と斯の世斯の人をして、各々其の所を得しめんと欲す。吾愛を合はせ敬を合はせて、一世の人を安んずるは、即ち是れ聖賢の為に之を安んずるなり。
現代語訳
愛と敬いを心に保つとは何でしょうか。君子と小人は、外に現れた行いで見れば、よく混同されます。しかしただ一点、心に何を保っているかというところでは、善悪がかけ離れていて、黒と白ほどにはっきり正反対です。だから「君子が人と異なるのは、その心の保ち方による」と言うのです。君子が心に保つのは、ただ人を愛し人を敬う心です。人には親しい人と疎い人、身分の高い人と低い人があり、賢い人と愚かな人、優れた人と劣った人があります。千差万別でそろってはいませんが、みな私の同胞であり、私と一体のものです。敬い愛すべきでない者などいるでしょうか。多くの人を愛し敬うことは、そのまま聖賢を愛し敬うことです。多くの人の思いに通じることは、そのまま聖賢の志に通じることです。なぜなら、聖賢の志はもともと、この世のこの人々が、それぞれにふさわしい場所を得ることを願うものだからです。私が愛と敬いを尽くして、世の人々を安らかにすることは、そのまま聖賢に代わって人々を安らかにすることなのです。
解説

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