了凡四訓 / 立命之學・一切の福田は方寸を離れず
余進曰:「孟子言:『求則得之,是求在我者也。』道德仁義,可以力求;功名富貴,如何求得?」 雲谷曰:「孟子之言不錯,汝自錯解耳。汝不見六祖說:『一切福田,不離方寸;從心而覓,感無不通。』求在我,不獨得道德仁義,亦得功名富貴;內外雙得,是求有益於得也。若不反躬內省,而徒向外馳求,則求之有道,而得之有命矣,內外雙失,故無益。」
新字:余進曰:「孟子言:『求則得之,是求在我者也。』道徳仁義,可以力求;功名富貴,如何求得?」 雲谷曰:「孟子之言不錯,汝自錯解耳。汝不見六祖説:『一切福田,不離方寸;従心而覓,感無不通。』求在我,不独得道徳仁義,亦得功名富貴;内外双得,是求有益於得也。若不反躬内省,而徒向外馳求,則求之有道,而得之有命矣,内外双失,故無益。」
書き下し
余進みて曰く「孟子言ふ『求むれば則ち之を得。是れ求むること我に在る者なり』と。道德仁義は、力めて求むべし。功名富貴は、如何ぞ求め得ん」と。 雲谷曰く「孟子の言は錯らず。汝自ら錯り解するのみ。汝見ずや、六祖說く『一切の福田は、方寸を離れず。心に從ひて覓むれば、感じて通ぜざる無し』と。求むること我に在れば、獨り道德仁義を得るのみならず、亦た功名富貴を得。內外雙つながら得。是れ求むること得るに益有るなり。若し躬に反りて內に省みずして、徒らに外に向ひて馳せ求むれば、則ち之を求むるに道有りて、之を得るに命有り。內外雙つながら失ふ。故に益無し」と。
現代語訳
私は進み出て言いました。「孟子は『求めれば得られる。これは求めるものが自分の内にある場合である』と言っています。道徳や仁義は努力して求められますが、功名や富貴は、どうして求めて得られましょうか」。雲谷禅師は言いました。「孟子の言葉は間違っていない。あなたが勝手に誤解しているだけだ。六祖(禅宗の慧能)が『あらゆる福の田は、この心を離れない。心に従って求めれば、感応して通じないものはない』と説いているのを知らないのか。求めることが自分の内にあれば、道徳仁義が得られるだけでなく、功名富貴も得られる。内も外も両方得られる。これが、求めることが得ることに役立つということだ。もし自分に立ち返って内を省みず、ただ外へ向かって駆け回って求めるなら、求めるには方法があっても、得られるかどうかは運命次第となる。内も外も両方失う。だから役に立たないのだ」。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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尚書・無逸小人汝を怨み汝を詈らば、則ち皇に自ら德を敬しめ。
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葉隠・聞書第一浪人の身にて、上を怨み候事〔あり〕。何某(なにがし)浪人、内実(ないじつ)に非を知りて崩す。前方(ぜんぽう)仰付(おおせつけ)御断(おことわ)り、二度目に御請誓詞(おうけせいし)の事。同筋(どうすじ)にて浪人の事。斯様(かよう)の我が非を存ぜざる間(あいだ)は、帰参有るまじき事。今にも御情(おなさけ)無きの、誰がにくい者などと計(ばか)り、胸をこがし候て、なお天道(てんとう)の悪(にく)みを受くるなり。何某の評判に、御罰(おばち)よと申されたるとなり。人がのがれぬなり。罪一人に有りと思い返され候え。
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尚書・冏命愆ちを繩し謬りを糾し、其の非心を格す。
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孟子・離婁章句下孟子曰く、「君子の人に異なる所以の者は、其の心を存するを以てなり。君子は仁を以て心を存し、禮を以て心を存す。仁者は人を愛し、禮有る者は人を敬す。人を愛する者は、人恒に之を愛し、人を敬する者は、人恒に之を敬す。此に人有り、其の我を待つに横逆を以てすれば、則ち君子必ず自ら反するなり。『我必ず不仁ならん、必ず禮無からん。此の物奚ぞ宜しく至るべけんや。』と。其の自ら反して仁なり。自ら反して禮有り。其の橫逆由ほ是のごとくなるや、君子必ず自ら反するなり。『我必ず不忠ならん。』と。自ら反して忠なり。其の橫逆由ほ是のごとくなるや、君子曰く、『此れ亦た妄人なるのみ。此の如くんば、則ち禽獸と奚ぞ擇ばんや。禽獸に於いて又何ぞ難ぜん。』是の故に、君子には終身の憂い有るも、一朝の患い無きなり。乃ち憂うる所の若きは則ち之れ有り。『舜も人なり、我も亦た人なり。舜は法を天下に為し、後世に傳う可し。我は由ほ未だ鄉人為るを免れざるなり。』是は則ち憂う可きなり。之を憂えば如何にせん。舜の如くせんのみ。夫の君子の若きは、患いとする所は則ち亡し。仁に非ざれば為す無きなり。禮に非ざれば行う無きなり。一朝の患い有るが如きは、則ち君子は患いとせず。」
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論語・顔淵篇司馬牛、君子を問う。子曰く、「君子は憂えず懼れず。」曰く、「憂えず懼れざれば、斯れ之を君子と謂うか。」子曰く、「内に省みて疚しからずんば、夫れ何をか憂え何をか懼れん。」
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司馬法・嚴位若し勝たざらしめば、過ちを取ること己に在り。