論語と算盤 / 理想と迷信・これは果して絶望か
此の関係を押し進めて政治にせよ、法律にせよ、軍事にせよ、有らゆる事柄を此の仁義道徳に一致させなければ不可ない、一方は仁義道徳に従つて正しき商売の道を履んでも、一方が賄賂を要請するといふやうな片足では不可ない、世の中のことは殆んど車を𢌞すやうなもので、お互に仁義道徳を守つて行かなければ、必ず何所に扞格を生ずるのであるから、一切の事柄をして仁義道徳に合致せしむるやう、相互に努めなければならぬ、此の主義を十分に拡大して広く社会に行ふならば、賄賂などといふやうな、忌はしいことは自ら止むに至るであらう。
書き下し
この関係を押し進めて政治にせよ、法律にせよ、軍事にせよ、あらゆる事柄をこの仁義道徳に一致させなければいけない。一方は仁義道徳に従って正しき商売の道を踏んでも、一方が賄賂を要請するというような片足ではいけない。世の中のことはほとんど車を回すようなもので、お互いに仁義道徳を守って行かなければ、必ずどこかに扞格を生ずるのであるから、一切の事柄をして仁義道徳に合致せしむるよう、相互に努めなければならぬ。この主義を十分に拡大して広く社会に行うならば、賄賂などというような、忌まわしいことは自ずと止むに至るであろう。
現代語訳
この関係を押し進めて、政治であれ、法律であれ、軍事であれ、あらゆる事柄をこの仁義道徳に一致させなければならない。一方が仁義道徳に従って正しい商売の道を踏んでいても、もう一方が賄賂を求めるというような片足では駄目である。世の中のことは車を回すようなもので、互いに仁義道徳を守って進まなければ、必ずどこかに食い違いが生じる。だからあらゆる事柄を仁義道徳に合致させるよう、互いに努めなければならない。この主義を十分に広げて社会に行き渡らせれば、賄賂のような忌まわしいことは自然に止むだろう。
解説
渋沢が組織した帰一協会——世界の宗教や哲学がある程度まで一つに帰し得るかを研究する会——の話から始まる章である。孔子の「己の欲せざる所、人に施す勿れ」とイエスの「己の欲する所、これを人に施せ」は、右から説くか左から説くかの違いで帰するところは一つだ、と彼は見る。その帰一の発想を、彼は道徳と経済の関係にも当てる。そして片足では駄目だ、と言う。売る側が正しくても買う側が賄賂を求めれば車は回らない。ここには渋沢の限界と誠実さが同時に出ている。自分の側の道徳だけでは解決しないと知りながら、それでも自分の側から始めるしかない、と説いている。
この章句が説くこと
帰一仁義道徳との合致賄賂片足では回らない
関連する章句
-
『秘本玉くしげ』下 使う者を罰すこれを止る法は、まづ賄を取者を禁むるのみならず、これをつかふ者をきびしくいましめて、何事によらずいささかにても賄をつかふ者相しるるに於ては、急度曲事に申付べしとの旨をつねづねふれおかれて、もし犯す者あらんには、一人二人きびしく答められなどせば、つかふ者は勿論にて、とる人もおのづからきみわろかるべし。上の制禁ならんには、これをつかはぬを怒ることも得せじ。そもそも賄は、つかふ者にはとがなくして、罪は取者にある事なれ共、取者をのみ制しては止がたければ、つかふ者をいましむるも一つの権道なるべきにや。
-
『秘本玉くしげ』下 賄賂の損得すべて世中に此筋盛んなるゆゑに、おのづから国政正しくは行はれがたく、又上に損失ある事おびただしく、下にも損害甚多し。たとへば、金千両入べきところをも、役人へ三百両賄すれば五百両にてすむゆゑに、下にも二百両の得あれども、上には五百両だけの所の損あり。或は五百両にてすむべき事も、賄をせざれば七百両も八百両も入りて、其二百両三百両は脇道へぬけ行やうの事も有て、上にも利なく、下には大損ありて、あまつさへ上を恨み奉ること甚し。されば、国政の大害、下民の大害、此賄に過たるはなし。
-
尚書・呂刑獄貨は寶に非ず。
-
史記 伍子胥列伝其の後四年、呉王将に北のかた斉を伐たんとす。越王句踐、子貢の謀を用ゐ、乃ち其の衆を率ゐて以て呉を助け、而して重宝を以て太宰嚭に献遺す。太宰嚭既に数々越の賂を受け、其の越を愛信すること殊に甚だしく、日夜呉王の為に言ふ。呉王、嚭の計を信用す。伍子胥諫めて曰く、「夫れ越は腹心の病なり、今其の浮辞詐偽を信じて斉を貪る。斉を破るは、譬へば猶ほ石田のごとし、用ゐる所無し。且つ盤庚の誥に曰く、『顛越不恭有らば、之を劓殄滅し、遺育無からしめ、種を茲の邑に易ふること無からしめよ』と。此れ商の興りし所以なり。願はくは王斉を釈てて越を先にせよ。若し然らずんば、後将に之を悔ゆるも及ぶ無からん」と。而るに呉王聴かず、子胥を斉に使はす。子胥行くに臨み、其の子に謂ひて曰く、「吾数々王を諫むれど、王用ゐず、吾今呉の亡ぶるを見る。汝、呉と倶に亡ぶるは、益無きなり」と。乃ち其の子を斉の鮑牧に属し、還りて呉に報ず。
-
二宮翁夜話・巻之三翁曰く、太古交際の道、互に信義を通ずるに心力を尽し四体(したい)を労(ろう)して交を結びしなり。如何となれば金銀貨幣(かへい)少きが故なり。後世金銀の通用盛んに成りて、交際の上音信贈答(おんしんぞうとう)皆金銀を用ゐるより、通信自在にして便利極れり。是より賄賂(わいろ)と云ふ事起り、礼を行ふといひ信を通ずるといひ、終に賄賂に陥り、是が為に曲直(きょくちょく)明ならず法度(はっと)正からず、信義廃(すた)れて賄賂盛んに行はれ、百事賄賂にあらざれば弁ぜざるに至る。予始めて桜町に至る、彼の地の奸民(かんみん)争ふて我に賄賂す、予塵芥(じんかい)だも受けず。是より善悪邪正判然として、信義貞実(ていじつ)の者初めて顕(あらわ)れたり。尤も恐るべきは此賄賂なり。卿等(けいら)誓(ちか)ひて此物に汚(けが)さるゝ事なかれ。
-
『韓非子』外儲説右下第三十五夫れ即し魚を受けば、必ず人に下るの色有らん。人に下るの色有らば、將に法を枉げんとす。法を枉げば則ち相を免ぜられん。