論語 / 衛霊公篇
子曰:「吾猶及史之闕文也,有馬者,借人乘之。今亡矣夫!」
新字:子曰:「吾猶及史之闕文也,有馬者,借人乗之。今亡矣夫!」
書き下し
子曰く、吾猶お史の闕文に及べるなり。馬有る者は、人に借して之に乗らしむ。今は亡きかな。
現代語訳
先生がおっしゃった。「私はまだ、史官が疑わしいところを空欄のまま残していた時代に間に合った。馬を持つ者は、人に貸して乗せてやった。今はもうそれが無くなってしまった。」
解説
二つの失われた慣行が挙げられている。史官が分からないところを空白のまま残したこと、馬の持ち主が人に貸したこと。一見無関係だが、共通するのは自分の都合で埋めない、抱え込まないという態度である。分からないことを分かったふりで埋めず、持っているものを独占しない。孔子は、その二つが自分の若い頃には残っていたと言う。とくに闕文の話は重い。記録から空白が消えるということは、誰かが推測で埋めたということだ。埋めれば体裁は整うが、後世は何が事実で何が推測かを区別できなくなる。報告書でも同じことが起きる。不明な部分を空欄のまま出すのは勇気が要る。埋めれば完成に見える。だが埋めた瞬間、不明であったという最も重要な情報が失われる。
この章句が説くこと
闕文空白誠実共有記録
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孟子・離婁章句下孟子曰く、「言に實無きは不祥なり。不祥の實は、賢を蔽う者之に當る。」 <解説> この節は分かりにくい。朱注に云う、「或いは曰く、天下の言實に不祥なる者有る無し、惟れ賢を蔽い不祥の實を為すと、或いは曰く、言にして實無き者は不祥なり、故に賢を蔽い不祥の實を為す、二説同じからず、未だ孰れが是なるか知らず、疑うらくは或いは闕文有らん。」私は後説を採用し、かなり強引な解釈をした。やはり朱子の言うように闕分が有るのだろうか。
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