論語 / 子路篇
子曰:「君子泰而不驕;小人驕而不泰。」
書き下し
子曰く、君子は泰にして驕らず。小人は驕りて泰ならず。
現代語訳
先生がおっしゃった。「君子(立派な人物)はゆったりと落ち着いていて、おごり高ぶらない。小人(つまらない人物)はおごり高ぶっていて、ゆったりと落ち着いていない。」
解説
泰と驕を組み替えただけの、短い対句である。ゆったりしていることと、驕ることは似て見える。どちらも余裕があるように振る舞う。だが中身は逆だ。泰は内側が満ちているから外に構えがない状態、驕は内側が不安だから外に張るという状態である。だから驕る人はゆったりできない。常に自分の位置を確認し、比較し、示さなければならないからだ。見分け方として実用的な視点になる。本当に自信のある人は、自分の話をしなくて済む。肩書きを示す必要も、実績を並べる必要もない。逆に、しきりに実績を語る人は、その必要を感じているということである。自分について点検するときにも使える。ゆったりしているか、それとも張っているか。この二つは、他人には見分けにくいが、自分では分かる。
この章句が説くこと
泰驕余裕自信見分け
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