甲陽軍鑑 / 品第四十
第十四に我女房よき緣者の時馳走候て、何とぞ樣子ありて緣類なうなれば、其內儀を無馳走にいたす事、第十五に我仕合せよき時はおごり、無仕合せの時滅入める事、第十六に我よきちかづきなり共、又はほまれの武士なり共、あしもとのよはきをあなづり、未練の侍をも仕合せよきをば譽る事、以上十六ヶ條、
新字:第十四に我女房よき縁者の時馳走候て、何とぞ様子ありて縁類なうなれば、其内儀を無馳走にいたす事、第十五に我仕合せよき時はおごり、無仕合せの時滅入める事、第十六に我よきちかづきなり共、又はほまれの武士なり共、あしもとのよはきをあなづり、未練の侍をも仕合せよきをば誉る事、以上十六ヶ条、
書き下し
第十四に我女房よき縁者の時馳走候て、何とぞ様子ありて縁類なうなれば、其内儀を無馳走にいたす事、第十五に我仕合せよき時はおごり、無仕合せの時滅入める事、第十六に我よきちかづきなり共、又はほまれの武士なり共、あしもとのよはきをあなづり、未練の侍をも仕合せよきをば誉る事、以上十六ヶ条、
現代語訳
第十四に、我が女房がよい縁者の時は馳走して、何か様子があって縁類がなくなれば、その内儀を馳走しないでいる事。第十五に、我が巡り合わせのよい時は驕り、巡り合わせの悪い時は滅入る事。第十六に、我がよい近づきであっても、また誉れの武士であっても、足元の弱いのを侮り、未練の侍であっても巡り合わせのよいのを褒める事。以上、十六か条。
解説
最後の三つが、いずれも相手の状況で態度を変える型である。妻の実家が力を失えば妻を粗末にし、自分の運で驕ったり滅入ったりし、落ち目の者を侮って調子のよい者を褒める。同じ人に対する態度が、風向きで変わることを不覚と呼んでいる。同じ人に対する態度が、風向きで変わることを不覚と呼んでいる。妻の実家、自分の運、相手の落ち目。どれも自分の側は変わっていない。
この章句が説くこと
不覚内儀驕滅入侮態度
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