甲陽軍鑑 / 品第十三
國靜なれば遊山·見物·亂舞·歌·連歌·花奢·風流に模樣共うちあかり、上下共にさとめきわたり、縱へば萬年過ても此世亂れんことかたし、第一に管領へ敵申べき者北東に一人としてなければ、末々は海道七ケ國も上杉殿へ隨身ならん、さありて終には都の仕置も平る中よりし給ふべしなどゝ各申は理なり、國のよく治まりたる所に大事になる源一ツ出來る子細は、
新字:国静なれば遊山·見物·乱舞·歌·連歌·花奢·風流に模様共うちあかり、上下共にさとめきわたり、縦へば万年過ても此世乱れんことかたし、第一に管領へ敵申べき者北東に一人としてなければ、末々は海道七ケ国も上杉殿へ随身ならん、さありて終には都の仕置も平る中よりし給ふべしなどゝ各申は理なり、国のよく治まりたる所に大事になる源一ツ出来る子細は、
書き下し
国静なれば遊山·見物·乱舞·歌·連歌·花奢·風流に模様共うちあかり、上下共にさとめきわたり、縦へば万年過ても此世乱れんことかたし、第一に管領へ敵申べき者北東に一人としてなければ、末々は海道七ケ国も上杉殿へ随身ならん、さありて終には都の仕置も平る中よりし給ふべしなどゝ各申は理なり、国のよく治まりたる所に大事になる源一ツ出来る子細は、
現代語訳
国が静かなので、遊山・見物・乱舞・歌・連歌・花奢・風流に模様ともうち上がり、上下ともに賑わい渡り、たとえば万年過ぎてもこの世が乱れることは難しい。第一に管領へ敵対すべき者が北にも東にも一人としていないので、末々は海道七か国も上杉殿へ従うであろう。そうして、ついには都の仕置きもこの中からされるであろうなどと、それぞれが申すのは道理である。国がよく治まっている所に、大事になる源が一つ出てくる、その子細は。
解説
全盛の描写が、遊びの名を七つ並べる形で書かれる。万年過ぎても乱れまいと誰もが言い、天下を取るのも時間の問題だと思われていた。そのうえで、よく治まっている所にこそ大事の源が出るという一句で段を切り、次の讒言の話へ落としていく。よく治まっている所にこそ大事の源が出る、という一句で段が切られる。順調な時期の描写が、そのまま次の讒言の下地になっている。
この章句が説くこと
太平遊山驕油断兆上杉
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