論語 / 子罕篇
子曰:「吾有知乎哉?無知也。有鄙夫問於我,空空如也,我扣其兩端而竭焉。」
新字:子曰:「吾有知乎哉?無知也。有鄙夫問於我,空空如也,我扣其両端而竭焉。」
書き下し
子曰く、吾知有らんや。知無きなり。鄙夫有りて我に問う、空空如たり。我其の両端を扣きて竭くす。
現代語訳
先生がおっしゃった。「私に知恵などあるだろうか。知恵などない。(ただ、)つまらない男が私に質問してきて、(その人が)からっぽで何もわかっていないようでも、私はその問いの両端をたたいて、(答えを)余すところなく出し尽くしてやる。」
解説
孔子が自分の教え方を説明した、貴重な一章である。自分に知識があるのではない。相手の問いの両端、つまり始まりと終わり、あるいは両極を叩いて、そこから中身を出し尽くす。答えを与えるのではなく、問いを展開する技術である。空っぽの相手から引き出すのだから、材料は相手の中にある。指導や相談を受ける立場の人に、そのまま使える構えだ。相手が漠然とした悩みを持ってきたとき、こちらの答えを渡すのは早い。だが渡した答えは相手のものにならない。代わりに、その問いの両端を尋ねる。何が起きたら最良で、何が起きたら最悪か。いつからで、いつまでか。両端が定まると、中身は相手が自分で埋められる。知識ではなく、問いの扱い方が仕事になっている。
この章句が説くこと
教え方問い両端引き出す無知の自覚
関連する章句
-
伝習録・黄省曾録先生曰く、「孔子、鄙夫の来たりて問う有り。未だ嘗て先に知識有りて以て之に応ぜず。其の心は只だ空空たるのみ。但だ他の自ら知る所の是非の両端を叩き、之と一たび剖決すれば、鄙夫の心は便ち已に了然たり。鄙夫の自ら知る所の是非は、便ち是れ他の本来の天則なり。聖人の聡明と雖も、如何ぞ与に一毫を増減し得べけんや。他は只だ自ら信ずる能わず。夫子、之と一たび剖決すれば、便ち已に竭尽して余無し。若し夫子、鄙夫と言う時、些子の知識を留め得て在らば、便ち是れ他の良知を竭くす能わず。道体は即ち二有らん」と。
-
論語・為政篇子曰く、由よ、女(なんじ)に之を知るを誨えんか。之を知るを之を知ると為し、知らざるを知らずと為す、是れ知るなり。
-
論語・述而篇子曰わく、憤せざれば啓せず、悱せざれば発せず。一隅を挙げて三隅を以て反さざれば、則ち復せず。
-
論語・述而篇子曰わく、黙してこれを識り、学びて厭わず、人を誨えて倦まず、我に何か有らんや。
-
論語・八佾篇或るひと禘を問う。子曰く、『知らざるなり。その説を知る者の天下に於けるや、其れ諸を斯に示すが如きか。』と掌を指す。
-
論語・述而篇子曰く、「聖と仁との若きは、則ち吾豈に敢えてせんや。抑々之を為して厭わず、人を誨えて倦まざるは、則ち云爾と謂う可きのみ。」公西華曰く、「正に唯だ弟子の学ぶこと能わざるなり。」