後世への最大遺物 / 第一回・実業の精神が起らんことを願う
三菱のような何千万円というように金を溜めまして、今日まで……これから三菱は善い事業をするかと信じておりますけれども……今日まで何をしたか。彼自身が大いに勢力を得、立派な家を建て立派な別荘を建てましたけれども、日本の社会はそれによって何を利益したかというと、何一つとして見るべきものはないです。それでキリスト教信者が立ちまして、キリスト信徒の実業家が起りまして、金を儲けることは己れのために儲けるのではない、神の正しい道によって、天地宇宙の正当なる法則にしたがって、富を国家のために使うのであるという実業の精神がわれわれのなかに起らんことを私は願う。そういう実業家が今日わが国に起らんことは、神学生徒の起らんことよりも私の望むところでございます。
書き下し
三菱のような何千万円というように金を溜めまして、今日まで……これから三菱は善い事業をするかと信じておりますけれども……今日まで何をしたか。彼自身が大いに勢力を得、立派な家を建て、立派な別荘を建てましたけれども、日本の社会はそれによって何を利益したかというと、何一つとして見るべきものはないです。それでキリスト教信者が立ちまして、キリスト信徒の実業家が起りまして、金を儲けることは己れのために儲けるのではない、神の正しい道によって、天地宇宙の正当なる法則にしたがって、富を国家のために使うのであるという実業の精神が、われわれのなかに起らんことを私は願う。そういう実業家が今日わが国に起らんことは、神学生徒の起らんことよりも私の望むところでございます。
現代語訳
三菱のように何千万円と金を溜めて、今日まで、これから三菱は善い事業をすると信じてはいますが、今日まで何をしたでしょうか。当人は大いに勢力を得て、立派な家を建て、立派な別荘を建てましたが、それで日本の社会が何を得たかといえば、何一つ見るべきものがありません。ですからキリスト者が立ち、キリスト者の実業家が現れて、金を儲けるのは自分のために儲けるのではない、神の正しい道により、天地宇宙の正しい法則に従って、富を国のために使うのだ、という実業の精神が私たちの中に起こることを私は願います。そういう実業家がこの国に現れることは、神学生が現れることよりも私の望むところです。
解説

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論語・季氏篇斉の景公、馬千駟有り。死するの日、民徳として称する無し。伯夷・叔斉、首陽の下に餓う。民今に到るまで之を称す。其れ斯を之謂うか。
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