論語 / 雍也篇
子曰:「不有祝鮀之佞,而有宋朝之美,難乎免於今之世矣。」
書き下し
子曰く、祝鮀の佞有らずして、宋朝の美有るは、難いかな今の世に免るること。
現代語訳
先生がおっしゃった。「祝鮀のような弁舌の才を持たずに、宋朝のような美貌だけを持っていたのでは、今の世を無事に渡っていくのは難しい。」
解説
孔子の嘆きは、二人の実在の人物を並べることで具体的になっている。祝鮀は弁の立つ廷臣、宋朝は美貌で知られた公子である。どちらも中身の徳ではなく、外向きの資質だ。その二つのうち片方しか持たないと世を渡れない、というのだから、徳のある者が生きにくい時代への皮肉になっている。孔子はここで「だから弁舌を磨け」とは言っていない。時代がそういう評価軸で動いているという観察を、苦さごと差し出しているだけである。この認識は、いまの実務者にも要る。実力さえあれば認められるという前提は、しばしば裏切られる。だからといって外向きの資質だけを追えば、孔子が皮肉った側に回る。認識としては世の評価軸を知り、選択としては何を磨くかを自分で決める。二つを混同しないことが要点である。
この章句が説くこと
世相弁舌外見処世評価軸
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