李衛公問対 / 卷中
臣當以此教諸將。」太宗曰:「朕置瑤池都督,以隸安西都護,蕃漢之兵,如何處置?」靖曰:「天之生人,本無蕃漢之別。然地遠荒漠,必以射獵而生,由此常習戰鬬。若我恩信撫之,衣食周之,則皆漢人矣。陛下置此都護,臣請收漢戍卒,處之內地,減省糧饋。兵家所謂『治力之法』也。但擇漢吏有熟蕃情者,散守堡障,此足以經久。或遇有警,則虞卒出焉。」太宗曰:「《孫子》所言『治力』,何如?」靖曰:
新字:臣当以此教諸将。」太宗曰:「朕置瑤池都督,以隸安西都護,蕃漢之兵,如何処置?」靖曰:「天之生人,本無蕃漢之別。然地遠荒漠,必以射猟而生,由此常習戦闘。若我恩信撫之,衣食周之,則皆漢人矣。陛下置此都護,臣請収漢戍卒,処之内地,減省糧饋。兵家所謂『治力之法』也。但択漢吏有熟蕃情者,散守堡障,此足以経久。或遇有警,則虞卒出焉。」太宗曰:「《孫子》所言『治力』,何如?」靖曰:
書き下し
臣当に此を以て諸将に教ふべし。」太宗曰く、「朕瑤池都督を置き、以て安西都護に隷せしむ。蕃漢の兵、如何にか処置せん。」靖曰く、「天の人を生ずるや、本蕃漢の別無し。然れども地遠く荒漠にして、必ず射猟を以て生く。此に由りて常に戦闘に習ふ。若し我恩信もて之を撫し、衣食もて之を周(すく)はば、則ち皆漢人なり。陛下此の都護を置く、臣請ふ、漢の戍卒を収め、之を内地に処(お)きて、糧饋を減省せん。兵家の所謂『力を治むるの法』なり。但だ漢吏の蕃情に熟する者有るを択び、散じて堡障を守らしめば、此れ以て経久するに足る。或いは警有るに遇はば、則ち虞卒出でん。」太宗曰く、「『孫子』の言ふ所の『力を治む』とは、何如。」靖曰く、
現代語訳
臣はこの法で諸将を教えよう。」太宗が言った。「朕は瑤池都督府(ようちととくふ、西域に置いた役所)を置き、安西都護府(あんせいとごふ、西域を統べる役所)に属させた。蕃兵と漢兵をどう処置すればよいか。」李靖が言った。「天が人を生んだとき、もともと蕃と漢の区別はない。しかし土地が遠く荒れた砂漠なので、必ず弓射と狩猟で生きることになり、そのため常に戦いに慣れている。もし我らが恩と信義で彼らを慰撫し、衣食で助ければ、みな漢人と同じになる。陛下がこの都護府を置いたからには、臣は漢の守備兵を引き揚げて内地に置き、兵糧の輸送を減らすことを願う。これが兵家のいう『力を治める法』である。ただ蕃人の事情に詳しい漢人の役人を選んで、分散して砦を守らせれば、長く保つのに十分である。もし急があれば、虞卒(見張りの兵)が出ればよい。」太宗が言った。「『孫子』のいう『力を治める』とはどういうことか。」李靖が言った。
解説
関連する章句
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李衛公問対・卷上然れども臣愚かにも以謂(おも)へらく、漢の戍(まもり)は宜しく自ら一法を為すべく、蕃落は宜しく自ら一法を為すべし。教習各々異にし、混同せしむる勿れ。或いは寇の至るに遇はば、則ち密かに主将に勅し、時に臨みて号を変じ服を易へ、奇を出だして之を撃たしめん。」太宗曰く、「何の道ぞや。」靖曰く、「此れ所謂『多方以て之を誤らしむ』の術なり。蕃にして之に漢を示し、漢にして之に蕃を示す。彼蕃漢の別を知らずんば、則ち能く我が攻守の計を測る莫し。
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李衛公問対・卷上臣の区区として古制をば、皆纂(あつ)めて以て図にする所以の者は、有制の兵と成らんことを庶(こひねが)へばなり。」太宗曰く、「卿我が為に古の陣法を択び、悉く図にして以て上(たてまつ)れ。」太宗曰く、「蕃兵は唯だ勁馬奔衝す、此れ奇兵か。漢兵は唯だ強弩犄角す、此れ正兵か。」靖曰く、「『孫子』を案ずるに云ふ、『善く兵を用ゐる者は、之を勢に求めて、人に貴ばず。故に能く人を択びて勢に任ず』と。夫れ所謂人を択ぶとは、各々蕃漢の長ずる所に随ひて戦ふなり。蕃は馬に長じ、馬は速闘に利あり。漢は弩に長じ、弩は緩戦に利あり。此れ自然に各々其の勢に任ずるなり。然れども奇正の分かつ所に非ず。臣前に曾て蕃漢を部するに必ず号を変じ服を易ふるは、奇正相生ずるの法なり。馬にも亦た正有り、弩にも亦た奇有り、何の常か之れ有らんや。」太宗曰く、「卿更に細かに其の術を言へ。」靖曰く、「先づ之を形(あら)はし、敵をして之に従はしむ、是れ其の術なり。」太宗曰く、「朕之を悟れり。『孫子』に曰く、『兵を形はすの極は、無形に至る』と。又曰く、『形に因りて勝ちを衆に措くも、衆知ること能はず』と。其れ此の謂か。」靖再拝して曰く、「深きかな、陛下の聖慮、已に思ひ半ばに過ぎたり。」太宗曰く、「近ごろ契丹・奚皆内属す。松漠・饒楽の二都督を置き、安北都護に統べしむ。朕薛万徹を用ゐんとす、如何。」靖曰く、「万徹は阿史那社尒及び執失思力・契苾何力に如かず。此れ皆蕃臣の兵を知る者なり。常に之と松漠・饒楽の山川道路、蕃情の逆順を言ふに因り、遠くは西域の部落十数種に至るまで、歴歴として信ずべし。臣之に教ふるに陣法を以てすれば、点頭して義に服せざるは無し。望むらくは陛下之に任じて疑ふ勿れ。万徹の若きは、則ち勇にして謀無く、以て独り任じ難し。」太宗笑ひて曰く、「蕃人皆卿の役使する所と為る。古人云ふ、『蛮夷を以て蛮夷を攻むるは、中国の勢なり』と。卿之を得たり。」
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李衛公問対・卷上太宗曰く、「正に朕が意に合ふ。卿密かに辺将に教ふべし。只だ此の蕃漢を以て、便ち奇正の法を見さん。」靖再拝して曰く、「聖慮天縦にして、一を聞きて十を知る。臣安んぞ能く其の説を極めんや。」太宗曰く、「諸葛亮言ふ、
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李衛公問対・卷上周の一乗は、歩卒七十二人、甲士三人なり。二十五人を以て一甲と為し、凡そ三甲、共に七十五人なり。楚は山沢の国にして、車少なく人多し。分かちて三隊と為せば、則ち周の制と同じ。」太宗曰く、「春秋に荀呉狄を伐つに、車を毀ちて行と為す。亦た正兵か、奇兵か。」靖曰く、「荀呉は車の法を用ゐたるのみ。車を舎(す)つと雖も法は其の中に在り。一は左角と為し、一は右角と為し、一は前拒と為し、分かちて三隊と為す。此れ一乗の法なり、千万乗も皆然り。臣曹公の『新書』を案ずるに云ふ、『攻車は七十五人、前拒一隊、左右角二隊。守車は一隊、炊子十人、守装五人、廐養五人、樵汲五人、共に二十五人。攻守二乗、凡そ百人。兵十万を興すに、車千乗を用ゐ、軽重二千』と。此れ大率孫・呉の旧法なり。又漢魏の間の軍制を観るに、五車を隊と為し、僕射一人。十車を師と為し、率長一人。凡そ車千乗に、将吏二人。多多此に倣ふ。臣今の法を以て之を参用すれば、則ち跳盪は騎兵なり。戦鋒隊は歩騎相半ばす。駐隊は車乗を兼ねて出づるなり。臣西のかた突厥を討つに、険を越ゆること数千里、此の制未だ嘗て敢へて易へず。蓋し古法の節制、信に重んずべし。」太宗霊州に幸し、迴(かへ)りて、靖を召して坐を賜ひ、曰く、「朕道宗及び阿史那社尒等に命じて薛延陁を討たしむ。而して鉄勒の諸部漢官を置かんことを乞ふ、朕皆其の請ひに従ふ。延陁西に走る、後患と為らんことを恐る、故に李勣を遣はして之を討たしむ。今荒方悉く平らぐも、然れども諸部蕃漢雑処す。何の道を以てか経久し、両つながら全く之を安んずるを得しめん。」靖曰く、「陛下勅して突厥より回紇の部落に至るまで、凡そ駅を置くこと六十六処、以て斥候を通ず。斯れ已に策を得たり。
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李衛公問対・卷上太宗曰く、「高麗(こうらい)数(しばしば)新羅を侵す。朕、使ひを遣はして諭すも、詔を奉ぜず。将に之を討たんとす、如何(いかん)。」靖曰く、「探りて知る、蓋蘇文(がいそぶん)自ら兵を知るを恃み、中国能く討つ無しと謂ふ、故に命に違ふと。臣請ふ、師三万もて之を擒(とりこ)にせん。」太宗曰く、「兵少なく地遥かなり、何の術を以て之に臨まん。」靖曰く、「臣は正兵を以てす。」太宗曰く、「突厥を平らぐる時は奇兵を用ゐたり。今正兵と言ふは何ぞや。」靖曰く、「諸葛亮の七たび孟獲を擒にせしも、他の道無きなり、正兵のみ。」太宗曰く、「晋の馬隆、涼州を計(はか)るも、亦た是れ八陣図に依りて偏箱車を作る。地広ければ則ち鹿角車営を用ゐ、路狭ければ則ち木屋を為りて車上に施し、且つ戦ひ且つ前む。信なるかな、正兵は古人の重んずる所なり。」靖曰く、「臣突厥を討つに、西行すること数千里、若し正兵に非ずんば、安んぞ能く遠きを致さん。偏箱・鹿角は兵の大要にして、一は則ち力を治め、一は則ち前を拒ぎ、一は則ち部伍を束ぬ。三者迭(たが)ひに相用を為す。斯れ馬隆の得たる所の古法深し。」太宗曰く、「朕宋老生を破るに、初め鋒を交ふるや、義師少しく却(しりぞ)く。朕親ら鉄騎を以て南原より馳せ下り、横さまに之を突く。老生の兵後を断たれ、大いに潰え、遂に之を擒にす。此れ正兵か、奇兵か。」靖曰く、「陛下は天縦の聖武にして、学びて能くするに非ず。臣兵法を案ずるに、黄帝より以来、正を先にして奇を後にし、仁義を先にして権譎を後にす。且つ霍邑の戦ひ、師の義を以て挙がる者は正なり。建成馬より墜ち、右軍少しく却く者は奇なり。」太宗曰く、「彼の時少しく却きしは、幾(ほとん)ど大事を敗らんとす、曷(なん)ぞ奇と謂はんや。」靖曰く、
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李衛公問対・卷下故に営を安んじ地に拠るは、人事に便なるのみ。澗・井・陥・隙の地、及び牢羅の如き処の若きは、人事便ならざる者なり。故に兵家引きて之を避け、敵の我に乗ずるを防ぐ。丘墓・故城は、絶険の処に非ず、我之を得れば利と為す、豈に宜しく反つて之を去るべけんや。太公の説く所は、兵の至要なり。」太宗曰く、「朕思ふに凶器兵より甚だしきは無し。兵を行ひて苟も人事に便なれば、豈に避忌を以て疑ひと為さんや。今後、諸将陰陽拘忌を以て、事宜に失する者有らば、卿当に丁寧に之を誡むべし。」靖再拝して謝して曰く、「臣『尉繚子』を按ずるに云ふ、『黄帝徳を以て之を守り、刑を以て之を伐つ、是れを刑徳と謂ふ。天官・時日の謂に非ざるなり』と。然れども詭道は之に由らしむべく、之を知らしむべからず。後世の庸将は、術数に泥(なづ)む、是を以て多く敗る、誡めざるべからざるなり。陛下の聖訓、臣即ち諸将に宣告せん。」太宗曰く、「兵に分有り聚有り、各(おのおの)宜しきに適ふを貴ぶ。前代の事迹、孰(たれ)か此を善くする者と為す。」靖曰く、「苻堅百万の衆を総べて、淝水に敗る。此れ兵能く合して分かつこと能はざるの致す所なり。呉漢公孫述を討つに、副将劉尚と分屯し、相去ること二十里。述来たりて漢を攻む。尚出でて合撃し、大いに之を破る。此れ兵分かれて能く合するの致す所なり。太公云ふ、
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