列子 / 説符篇
楊朱曰:「利出者實及、怨往者害來。發於此而應於外者唯請、是故賢者慎所出。」
新字:楊朱曰:「利出者実及、怨往者害来。発於此而応於外者唯請、是故賢者慎所出。」
書き下し
楊朱曰く、利を出す者は實及び、怨みを往らす者は害來たる。此に發して外に應ずる者は唯だ請のみ。是の故に賢者は出す所を慎む、と。
現代語訳
楊朱は言った。「利益を出す者には実りが及び、怨みを送る者には害が来る。こちらから発して外側で応じるのは、ただ真情だけである。だから賢い者は、何を出すかを慎む」。
解説
わずか三十七字ですが、説符篇の骨がここにあります。出したものが返ってくる。返ってくるのは、こちらの真情に応じたものだけだ、と。だから慎むべきは、結果でも相手でもなく、自分が何を出すかです。冒頭の「名は響き、身は影である」と同じ構造で、この篇の最初と終盤で対になっています。実務では、施策の効果を測る前に、その施策が何を発しているかを見る。値引きは利益を出しているようで、実は不安を発していることがあります。発したものが返る、という前提に立てば、何を測るべきかが変わります。
この章句が説くこと
利を出す者は実及び怨みを往らす者は害来たる此に発して外に応ずる者は唯だ請のみ賢者は出す所を慎む慎み
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