列子 / 楊朱篇
鬻子曰:『去名者無憂。』老子曰:『名者實之賓。』而悠悠者趨名不已。名固不可去、名固不可賓邪?今有名則尊榮、亡名則卑辱、尊榮則逸樂、卑辱則憂苦。憂苦、犯性者也、逸樂、順性者也。斯實之所係矣。名胡可去?名胡可賓?但惡夫守名而累實。守名而累實、將恤危亡之不救、豈徒逸樂憂苦之間哉?」
新字:鬻子曰:『去名者無憂。』老子曰:『名者実之賓。』而悠悠者趨名不已。名固不可去、名固不可賓邪?今有名則尊栄、亡名則卑辱、尊栄則逸楽、卑辱則憂苦。憂苦、犯性者也、逸楽、順性者也。斯実之所係矣。名胡可去?名胡可賓?但悪夫守名而累実。守名而累実、将恤危亡之不救、豈徒逸楽憂苦之間哉?」
書き下し
鬻子曰く、名を去る者は憂い無し、と。老子曰く、名は實の賓なり、と。而るに悠悠たる者は名に趨りて已まず。名は固より去るべからざるか、名は固より賓とすべからざるか。今名有れば則ち尊榮、名亡ければ則ち卑辱なり。尊榮なれば則ち逸樂、卑辱なれば則ち憂苦なり。憂苦は、性を犯す者なり。逸樂は、性に順う者なり。斯れ實の係る所なり。名胡ぞ去るべけんや。名胡ぞ賓とすべけんや。但だ夫の名を守りて實を累わすを惡むのみ。名を守りて實を累わさば、將に危亡の救われざるを恤えんとす。豈に徒だ逸樂憂苦の間ならんや、と。
現代語訳
鬻子は言った。「名を捨てる者に憂いはない」。老子は言った。「名は実の客である」。それなのに世の人々は名を追って止まない。名はもともと捨てられないものなのか。名はもともと客として扱えないものなのか。いま名があれば尊く栄え、名がなければ卑しく辱められる。尊く栄えれば安らかに楽しみ、卑しく辱められれば憂え苦しむ。憂え苦しむのは、性を損なうものである。安らかに楽しむのは、性に従うものである。これこそ実が関わるところだ。名をどうして捨てられよう。名をどうして客扱いできよう。ただ、名を守って実を損なうことが悪いのだ。名を守って実を損なえば、滅びの危機が救えないことを憂えることになる。安らかか苦しいかの程度の話ではすまない。
解説
楊朱篇の結びです。ここまで名を徹底的に否定してきた楊朱が、最後に「名は捨てられない」と認めます。名があれば尊ばれ、尊ばれれば安らかであり、安らかであることは性に従うことだから、名も実に関わっている、と。理屈をたどると、名を全否定した自分の立場を修正しています。そして落としどころが置かれます。悪いのは名そのものではなく、名を守って実を損なうことだ、と。しかもそれは、楽か苦かの程度の話ではなく、滅びに至る、と。会社が評判を守るために事業の中身を犠牲にするとき、まさにこれが起きます。名を捨てろではなく、名と実の順序を間違えるな、というのが最後の言葉でした。
この章句が説くこと
名は実の賓なり名胡ぞ去るべけんや但だ夫の名を守りて実を累わすを悪むのみ名実正名
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