列子 / 説符篇
伯樂喟然太息曰:「一至於此乎!是乃其所以千萬臣而無數者也。若皋之所觀天機也、得其精而忘其麤、在其內而忘其外、見其所見、不見其所不見、視其所視、而遺其所不視。若皋之相者、乃有貴乎馬者也。」馬至、果天下之馬也。
新字:伯楽喟然太息曰:「一至於此乎!是乃其所以千万臣而無数者也。若皋之所観天機也、得其精而忘其麤、在其内而忘其外、見其所見、不見其所不見、視其所視、而遺其所不視。若皋之相者、乃有貴乎馬者也。」馬至、果天下之馬也。
書き下し
伯樂喟然として太息して曰く、一に此に至れるか。是れ乃ち其の臣に千萬して數無き所以の者なり。皋の觀る所の若きは天機なり。其の精を得て其の麤を忘れ、其の内に在りて其の外を忘る。其の見る所を見て、其の見ざる所を見ず。其の視る所を視て、其の視ざる所を遺る。皋の相する所の若きは、乃ち馬より貴き者有るなり、と。馬至る。果たして天下の馬なり。
現代語訳
伯楽は深くため息をついて言った。「そこまでの域に達したか。これこそ彼が私の千倍万倍、いや数えきれないほどまさっている理由なのです。皋が見ているのは天のはたらきです。その精髄を得て粗いところを忘れ、内側にあって外側を忘れる。見るべきものを見て、見るべきでないものを見ない。注目すべきものに注目して、注目すべきでないものを捨てている。皋が見分けているのは、馬そのものより貴いものなのです」。馬が到着した。はたして天下第一の馬であった。
解説
雌雄も毛色も間違えたことを、伯楽は欠点ではなく到達の証拠として説明します。「其の精を得て其の麤を忘れ」――本質を得て、粗いところを忘れた。見るべきでないものを見ない、というのが要点です。見えていないのではなく、見る必要のないものを落としている。そして馬は本当に天下第一でした。ここには人を評価するときの難所があります。飛び抜けた人は、たいてい重要でないところで明らかな抜けを見せます。それを欠点として数えるか、絞り込みの結果として読むか。ただし、本当に絞れているのか、単に雑なだけなのかは、結果が出るまで分かりません。
この章句が説くこと
其の精を得て其の麤を忘る其の見ざる所を見ず皋の相する所は乃ち馬より貴き者有るなり
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