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列子 / 説符篇

既反、孟氏之父子叩胸而讓施氏。施氏曰:「凡得時者昌、失時者亡。子道與吾同、而功與吾異、失時者也、非行之謬也。且天下理無常是、事無常非。先日所用、今或棄之、今之所棄、後或用之。此用與不用、無定是非也。投隙抵時、應事無方、屬乎智。智苟不足、使若博如孔丘、術如呂尚、焉往而不窮哉?」孟氏父子舍然無慍容、曰:「吾知之矣。子勿重言!」

新字:既反、孟氏之父子叩胸而譲施氏。施氏曰:「凡得時者昌、失時者亡。子道与吾同、而功与吾異、失時者也、非行之謬也。且天下理無常是、事無常非。先日所用、今或棄之、今之所棄、後或用之。此用与不用、無定是非也。投隙抵時、応事無方、属乎智。智苟不足、使若博如孔丘、術如呂尚、焉往而不窮哉?」孟氏父子舎然無慍容、曰:「吾知之矣。子勿重言!」

書き下し

既に反り、孟氏の父子胸を叩きて施氏を讓む。施氏曰く、凡そ時を得る者は昌え、時を失う者は亡ぶ。子の道は吾と同じくして、功は吾と異なるは、時を失える者なり。行いの謬りに非ざるなり。且つ天下の理に常に是なる無く、事に常に非なる無し。先日用いし所、今或いは之を棄つ。今の棄つる所、後或いは之を用う。此の用うると用いざるとは、定まれる是非無きなり。隙に投じ時に抵り、事に應じて方無きは、智に屬す。智苟くも足らずんば、若をして博きこと孔丘の如く、術は呂尚の如くならしむとも、焉くに往くとして窮せざらんや、と。孟氏の父子舍然として慍れる容無く、曰く、吾之を知れり。子重ねて言うこと勿かれ、と。

現代語訳

戻ってくると、孟氏の父子は胸を叩いて施氏を責めた。施氏は言った。「およそ時を得た者は栄え、時を失った者は滅びる。あなた方のやり方は私たちと同じで、成果だけが違ったのは、時を失ったからだ。行いが間違っていたのではない。それに天下の道理には、常に正しいということがなく、物事には、常に間違っているということもない。以前に用いられたものが、いまは捨てられる。いま捨てられているものが、後には用いられる。この用いる用いないには、決まった是非がないのだ。隙に投げ入れ、時に当て、事に応じて型を持たないのは、知恵に属することである。もし知恵が足りなければ、あなた方を孔丘のように博識にし、呂尚のような術を持たせても、どこへ行っても行き詰まらないことがあろうか」。孟氏の父子は晴れやかになり、怒りの色を消して言った。「よく分かった。もう重ねて言わないでくれ」。

解説

「子の道は吾と同じくして、功は吾と異なるは、時を失える者なり。行いの謬りに非ざるなり」。同じことをして結果が違ったのは、時が違ったからで、やり方が間違っていたのではない。そのうえで、正しさに固定はなく、いま捨てられているものが後で使われる、と続けます。そして最後に、知恵とは隙に投げ入れ時に当てることだ、と定義する。博識でも術でもなく、タイミングを合わせる能力です。事業でも、施策の善し悪しより、いつ出したかで結果が決まることが多い。ただしこの理屈は、失敗した側の慰めにもなります。孟氏父子が納得したのも、そこが心地よかったからかもしれません。

この章句が説くこと

時を得る者は昌え時を失う者は亡ぶ行いの謬りに非ざるなり隙に投じ時に抵り事に応じて方無きは智に属す時機適材適所

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