列子 / 説符篇
趙襄子使新穉穆子攻翟、勝之、取左人中人、使遽人來謁之。襄子方食而有憂色。左右曰:「一朝而兩城下、此人之所喜也、今君有憂色、何也?」襄子曰:「夫江河之大也、不過三日、飄風暴雨不終朝、日中不須臾。今趙氏之德行無所施於積、一朝而兩城下、亡其及我哉!」
新字:趙襄子使新穉穆子攻翟、勝之、取左人中人、使遽人来謁之。襄子方食而有憂色。左右曰:「一朝而両城下、此人之所喜也、今君有憂色、何也?」襄子曰:「夫江河之大也、不過三日、飄風暴雨不終朝、日中不須臾。今趙氏之徳行無所施於積、一朝而両城下、亡其及我哉!」
書き下し
趙襄子新穉穆子をして翟を攻めしめ、之に勝ち、左人・中人を取る。遽人をして來たりて之を謁せしむ。襄子方に食して憂色有り。左右曰く、一朝にして兩城下る。此れ人の喜ぶ所なり。今君に憂色有るは、何ぞや、と。襄子曰く、夫れ江河の大なるも、三日に過ぎず。飄風暴雨も朝を終えず、日中も須臾ならず。今趙氏の德行は積に施す所無し。一朝にして兩城下る。亡びは其れ我に及ばんか、と。
現代語訳
趙襄子が新穉穆子に翟を攻めさせ、勝って左人と中人の二城を取った。急使をよこして報告させた。襄子はちょうど食事中で、憂いの色があった。側近たちが言った。「一朝にして二つの城が落ちました。これは人が喜ぶことです。いま君に憂いの色があるのは、なぜですか」。襄子は言った。「長江や黄河の大水も、三日は続かない。つむじ風や豪雨も朝のうちには収まり、日が中天にあるのも一瞬だ。いま趙氏の徳行は、積み重ねられたところがない。それなのに一朝にして二城が落ちた。滅びが私に及ぶのではないか」。
解説
大勝の報を受けて、憂い顔になる。理由が明確です。大水も暴風も長続きしない。積み重ねのないところに来た大きな成果は、同じ速さで去る、と。しかも彼は「趙氏の徳行は積に施す所無し」と、自分の側の蓄積の薄さを冷静に見ています。成果の大きさと、それを支える蓄積が釣り合っていない状態を、危険信号として読んだ。急成長した事業で、経営者がまず確かめるべきはここです。この成長は、積み上げてきたものに見合っているか。見合っていないなら、去るのも同じ速さです。
この章句が説くこと
一朝にして両城下る飄風暴雨も朝を終えず徳行は積に施す所無し亡びは其れ我に及ばんか
関連する章句
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『淮南子』道應訓趙襄子 翟を攻めて之に勝ち、尤人・終人を取る。使者 來たりて之を謁ぐに、襄子 方に將に食せんとして、憂色有り。左右曰く、「一朝にして兩城 下る。此れ人の喜ぶ所なり。今 君に憂色有るは、何ぞや」と。襄子曰く、「江・河の大なるも、三日に過ぎず。飄風暴雨も、日中 須臾ならず。今 趙氏の德行 積む所無く、今 一朝にして兩城 下る。亡ぶこと其れ我に及ばんか」と。孔子 之を聞きて曰く、「趙氏 其れ昌えんか」と。夫れ憂うるは、昌える所以と爲す。而して喜ぶは、亡ぶる所以と爲す。勝つは其の難きに非ざるなり。之を持するは其れ難きなり。賢主は此を以て勝を持す。故に其の福 後世に及ぶ。齊・楚・呉・越は、皆な嘗て勝てり。然れども卒に亡を取れるは、勝を持する能わざればなり。唯だ有道の主のみ能く勝を持す。孔子 勁くして國門の關を杓ぐるも、力を以て聞こゆるを肯んぜず。墨子 守攻を爲して、公輸般 服するも、兵を以て知らるるを肯んぜず。善く勝を持する者は、強を以て弱と爲す。故に老子曰く、「道は沖なり、而して之を用うるも又た盈たざるなり」と。
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呂氏春秋・愼大④趙襄子、翟を攻め、老人・中人に勝つ。使者をして來たりて之に謁せしむ。襄子方に食し、飯を摶して憂色有り。左右曰く、「一朝にして兩城下る、此れ人の喜ぶ所以なり。今、君憂色有るは何ぞや。」襄子曰く、「江河の大なるや、三日に過ぎず。飄風暴雨、日中須臾ならず。今趙氏の德行、積む所無きに、一朝にして兩城下る。亡ぶること其れ我に及ばんか。」孔子之を聞きて曰く、「趙氏は其れ昌えんか。」夫れ憂うるは昌ゆるを為す所以なり。而して喜ぶは亡ぶるを為す所以なり。勝つは其の難き者に非ざるなり。之を持するは其の難き者なり。賢主は此を以て勝つを持す。故に其の福は後世に及ぶ。齊・荊・吳・越皆嘗て勝てり。而れども卒に亡を取るは、勝ちを持するに達せざればなり。唯だ有道の主のみ能く勝ちを持す。孔子の勁き、國門の關を舉ぐれども、肯て力を以て聞こえず。墨子の守攻を為すや、公輸般服せしも、肯て兵を以て加えず。善く勝ちを持する者は、術を以て弱きを彊くするなり。
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『新序』雜事第四昔者、趙の中牟叛く。趙襄子師を率いて之を伐つ。圍未だ合わずして城の自ら壞るる者十堵なり。襄子金を撃ちて退く。士軍吏曰く、君中牟の罪を誅す。而して城自ら壞るるは是れ天の助くるなり。君曷爲れぞ之を去る、と。襄子曰く、吾之を叔向に聞きて曰く、君子は人に利に乘ぜず、人に險に迫らず、と。之をして城かしめて後に攻めん、と。中牟其の義を聞き、乃ち降らんことを請う。詩に曰く、王猶允に塞ち、徐方既に來たる、と。此の謂いなり。襄子遂に知氏を滅ぼし、代を并せて天下に強し。本と中牟を伐つに由るなり。
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国語・晋語九趙襄子(ちょうじょうし)、新稚穆子(しんちぼくし)をして狄を伐たしむ。左人・中人に勝つ。遽人(きょじん)来たり告ぐ。襄子将に食せんとし、飯を尋(とら)えて恐るる色有り。侍者曰く、「狗(く)の事大なり。而るに主の色怡(よろこ)ばざるは何ぞや」と。襄子曰く、「吾之を聞く、徳純(もっぱ)らならずして福禄並び至る、之を幸と謂う、と。夫れ幸は福に非ず。徳に非ざれば雍(よう)に当たらず。雍は幸と為さず。吾是を以て懼る」と。
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『列子』説符篇孔子之を聞きて曰く、趙氏は其れ昌えんか。夫れ憂うる者は昌えを爲す所以なり。喜ぶ者は亡びを爲す所以なり。勝つは其の難き者に非ざるなり。之を持するは、其の難き者なり。賢主は此を以て勝ちを持す。故に其の福は後世に及ぶ。齊・楚・吳・越は皆な嘗て勝てり。然れども卒に亡びを取れり。勝ちを持するに達せざればなり。唯だ有道の主のみ能く勝ちを持すと爲す、と。孔子の勁きは、能く國門の關を拓く。而れども力を以て聞こゆるを肯んぜず。墨子の守攻を爲すや、公輸般服す。而れども兵を以て知らるるを肯んぜず。故に善く勝ちを持する者は彊を以て弱と爲す。
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『淮南子』道應訓趙簡子 死して、未だ葬らざるに、中牟 齊に入る。已に葬りて五日、襄子 兵を起こして攻めて之を圍む。未だ合わずして城 自ら壞るること數十丈なり。襄子 金を撃ちて之を退く。軍吏 諫めて曰く、「君 中牟の罪を誅せんとして、城 自ら壞る。是れ天の我を助くるなり。何の故に之を去るか」と。襄子曰く、「吾 之を叔向に聞けり。『君子は人に利に乘ぜず、人を險に迫らず』と。之をして城を治めしめ、城 治まりて而る後に之を攻めん」と。中牟 其の義を聞き、乃ち降を請う。故に老子曰く、「夫れ唯だ爭わず、故に天下 能く之と爭う莫し」と。
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