呂氏春秋 / 愼大④
趙襄子攻翟,勝老人、中人,使使者來謁之,襄子方食摶飯,有憂色。左右曰:“一朝而兩城下,此人之所以喜也,今君有憂色何?”襄子曰:“江河之大也,不過三日;飄風暴雨,日中不須臾。今趙氏之德行,無所於積,一朝而兩城下,亡其及我乎?”孔子聞之曰:“趙氏其昌乎!”夫憂所以為昌也,而喜所以為亡也;勝非其難者也,持之其難者也。賢主以此持勝,故其福及後世。齊、荊、吳、越皆嘗勝矣,而卒取亡,不達乎持勝也。唯有道之主能持勝。孔子之勁,舉國門之關,而不肯以力聞;墨子為守攻,公輸般服,而不肯以兵加。善持勝者,以術彊弱。
新字:趙襄子攻翟,勝老人、中人,使使者来謁之,襄子方食摶飯,有憂色。左右曰:“一朝而両城下,此人之所以喜也,今君有憂色何?”襄子曰:“江河之大也,不過三日;飄風暴雨,日中不須臾。今趙氏之徳行,無所於積,一朝而両城下,亡其及我乎?”孔子聞之曰:“趙氏其昌乎!”夫憂所以為昌也,而喜所以為亡也;勝非其難者也,持之其難者也。賢主以此持勝,故其福及後世。斉、荊、吳、越皆嘗勝矣,而卒取亡,不達乎持勝也。唯有道之主能持勝。孔子之勁,舉国門之関,而不肯以力聞;墨子為守攻,公輸般服,而不肯以兵加。善持勝者,以術彊弱。
書き下し
趙襄子、翟を攻め、老人・中人に勝つ。使者をして來たりて之に謁せしむ。襄子方に食し、飯を摶して憂色有り。左右曰く、「一朝にして兩城下る、此れ人の喜ぶ所以なり。今、君憂色有るは何ぞや。」襄子曰く、「江河の大なるや、三日に過ぎず。飄風暴雨、日中須臾ならず。今趙氏の德行、積む所無きに、一朝にして兩城下る。亡ぶること其れ我に及ばんか。」孔子之を聞きて曰く、「趙氏は其れ昌えんか。」夫れ憂うるは昌ゆるを為す所以なり。而して喜ぶは亡ぶるを為す所以なり。勝つは其の難き者に非ざるなり。之を持するは其の難き者なり。賢主は此を以て勝つを持す。故に其の福は後世に及ぶ。齊・荊・吳・越皆嘗て勝てり。而れども卒に亡を取るは、勝ちを持するに達せざればなり。唯だ有道の主のみ能く勝ちを持す。孔子の勁き、國門の關を舉ぐれども、肯て力を以て聞こえず。墨子の守攻を為すや、公輸般服せしも、肯て兵を以て加えず。善く勝ちを持する者は、術を以て弱きを彊くするなり。
現代語訳
趙襄子が翟を攻め、老人・中人の二城を落とした。使者が来て戦勝を報告したとき、襄子はちょうど食事中で、飯を握りしめたまま憂わしい顔をしていた。側近が「一朝で二城を落とすとは人の喜ぶことなのに、なぜ憂え顔なのか」と問うと、襄子は「大河の氾濫も三日と続かず、烈風や豪雨も長くは持たない。今わが趙氏には徳行の蓄えもないのに一朝で二城が落ちた。滅びがわが身に及ぶのではないか」と答えた。孔子はこれを聞いて「趙氏はきっと栄えるだろう」と言った。憂えることは栄える所以であり、喜ぶことは滅びる所以である。勝つこと自体は難しくなく、勝ちを保ち続けることこそ難しい。賢主はこの心得で勝ちを保つので、その福は後世にまで及ぶ。斉・荊・呉・越はいずれもかつて勝ったが、結局は滅んだ。勝ちを保つ道に達しなかったからである。道を体得した君主だけが勝ちを保てる。孔子は城門の閂を持ち上げるほどの力がありながら力自慢はせず、墨子は防戦にすぐれ公輸般を屈服させながら武力を誇らなかった。よく勝ちを保つ者は、術によって弱を強へと転じるのである。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『列子』説符篇孔子之を聞きて曰く、趙氏は其れ昌えんか。夫れ憂うる者は昌えを爲す所以なり。喜ぶ者は亡びを爲す所以なり。勝つは其の難き者に非ざるなり。之を持するは、其の難き者なり。賢主は此を以て勝ちを持す。故に其の福は後世に及ぶ。齊・楚・吳・越は皆な嘗て勝てり。然れども卒に亡びを取れり。勝ちを持するに達せざればなり。唯だ有道の主のみ能く勝ちを持すと爲す、と。孔子の勁きは、能く國門の關を拓く。而れども力を以て聞こゆるを肯んぜず。墨子の守攻を爲すや、公輸般服す。而れども兵を以て知らるるを肯んぜず。故に善く勝ちを持する者は彊を以て弱と爲す。
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『列子』説符篇趙襄子新穉穆子をして翟を攻めしめ、之に勝ち、左人・中人を取る。遽人をして來たりて之を謁せしむ。襄子方に食して憂色有り。左右曰く、一朝にして兩城下る。此れ人の喜ぶ所なり。今君に憂色有るは、何ぞや、と。襄子曰く、夫れ江河の大なるも、三日に過ぎず。飄風暴雨も朝を終えず、日中も須臾ならず。今趙氏の德行は積に施す所無し。一朝にして兩城下る。亡びは其れ我に及ばんか、と。
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呂氏春秋・召類⑤趙簡子將に衛を襲わんとし、史默をして往きて之を睹しむ。期するに一月を以てせしに、六月にして後反る。趙簡子曰く、「何ぞ其れ久しきや。」史默曰く、「利を謀りて害を得ば、猶ほ察せざるがごときなり。今蘧伯玉、相と為り、史鰌、焉を佐け、孔子、客と為り、子貢は君前に使令し、甚だ聽かる。易に曰く、『其の羣を渙らす、元吉なり。』渙らすは賢なり。羣は衆なり。元は吉の始めなり。其の羣を渙らす、元吉なりとは、其の佐に賢多きなり。」趙簡子、兵を按じて動かず。凡そ謀るは、疑わしければなり。疑えば則ち義に從いて事を斷ず。義に從いて事を斷ずれば則ち謀虧かず。謀虧かざれば則ち名實之に從う。賢主の舉や、豈に必ずしも旗僨れ將斃れて、乃ち勝敗を知らんや。其の理を察して得失榮辱定まる。故に三代の貴き所は、賢に若くは莫きなり。
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呂氏春秋・義賞③趙襄子、圍を出で、功有りし者五人を賞す。高赦首為り。張孟談曰く、「晉陽の事、赦大功無し。賞するに首為るは何ぞや。」襄子曰く、「寡人の國危うく、社稷殆うく、身憂約の中に在りしとき、寡人と交わりて君臣の禮を失わざりし者は惟だ赦のみ、吾是を以て之を先にす。」仲尼之を聞きて曰く、「襄子は善く賞せりと謂う可し。一人を賞して、天下の人臣為るもの敢て禮を失うもの莫し。」六軍を為むるは則ち易んず可からず。北のかた代を取り、東のかた齊に迫り、張孟談をして城を踰えて潛行せしめ、魏桓・韓康と期して智伯を撃ち、其の頭を斷ちて以て觴と為し、遂に三家を定めたるは、豈に賞罰を用うることの當たれるに非ずや。
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説苑・復恩趙襄子晋陽に囲まるるを見る、囲を罷めて、功有るの臣五人を賞す、高赫功無くして上賞を受く、五人皆怒る、張孟談襄子に謂ひて曰く、「晋陽の中、赫大功無きに、今之に上賞を与ふるは、何ぞや」と。襄子曰く、「吾拘厄の中に在るとき、臣主の礼を失はざりし者は唯だ赫のみなり。子は功有りと雖も皆驕る、寡人赫に上賞を与ふるは、亦た可ならずや」と。仲尼之を聞きて曰く、「趙襄子善く士を賞すと謂ふべきかな。一人を賞して天下の人臣、敢へて君臣の礼を失ふ莫し」と。
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説苑・敬慎夫れ福は隠約に生じ、禍は得意に生ず、斉の頃公是れなり。斉の頃公は、桓公の子孫なり。地広く民衆く、兵強く国富み、又覇者の余尊を得て、驕蹇怠傲、未だ嘗て肯えて出でて諸侯に会同せず。乃ち師を興して魯を伐ち、反りて衛師を新築に敗る。小を軽んじ大を嫚る行い甚だし。俄かにして晋魯往きて聘し、使者を以て戯る。二国怒り、帰りて党与の助けを求め、衛及び曹を得、四国相い輔けて鞍に期して戦い、大いに斉師を敗り、斉の頃公を獲え、逢丑父を斬る。是に於て戄然として大いに恐れ、逢丑父の欺きに頼りて奔逃して帰るを得たり。死を弔い疾を問い、七年酒を飲まず肉を食わず、金石糸竹の声を外にし、婦女の色を遠ざけ、出でて会と盟に与り、諸侯に卑下し、国家内に義を行うを得、声問諸侯に震う。亡ぶる所の地求めずして自ら来たり、尊寵武ならずして之を得たり。詘免変化して以て之を致すこと能うと謂うべし。故に福は隠約に生じ、禍は得意に生ず。此れ得失の効なり。