列子 / 説符篇
宋人有爲其君以玉爲楮葉者、三年而成。鋒殺莖柯、毫芒繁澤、亂之楮葉中而不可別也。此人遂以巧食宋國。子列子聞之、曰:「使天地之生物、三年而成一葉、則物之有葉者寡矣。故聖人恃道化而不恃智巧。」
新字:宋人有為其君以玉為楮葉者、三年而成。鋒殺茎柯、毫芒繁沢、乱之楮葉中而不可別也。此人遂以巧食宋国。子列子聞之、曰:「使天地之生物、三年而成一葉、則物之有葉者寡矣。故聖人恃道化而不恃智巧。」
書き下し
宋人に其の君の爲に玉を以て楮の葉を爲る者有り。三年にして成る。鋒殺莖柯、毫芒繁澤、之を楮の葉の中に亂すも別つべからざるなり。此の人遂に巧を以て宋國に食む。子列子之を聞きて曰く、天地の物を生ずるをして、三年にして一葉を成さしめば、則ち物の葉有る者寡なからん。故に聖人は道化を恃みて智巧を恃まず、と。
現代語訳
宋の人で、君主のために玉を彫って楮の葉を作った者がいた。三年かかって完成した。とがり具合も削り具合も、茎も枝も、細かい毛先もつやも、本物の楮の葉のなかに混ぜても見分けがつかなかった。この人はその技によって宋の国から俸禄を得た。列子はこれを聞いて言った。「もし天地が物を生むのに、三年かけて一枚の葉を作るとしたら、葉のある植物はごくわずかしかないだろう。だから聖人は、道のはたらきに頼って、知恵と技巧に頼らない」。
解説
三年かけて本物と見分けのつかない葉を作る。技としては最高です。列子の批判は、技の質ではなく速度に向けられます。天地が同じ速度で葉を作っていたら、世界に葉はほとんどない、と。人の技は、自然のはたらきに比べて絶望的に遅い。だから技巧に頼らず、はたらきそのものに乗れ、というのが結論です。事業でも同じ比較ができます。自社が全力で作り込むものと、市場や仕組みが勝手に生み出すもの。前者は精巧ですが、量が出ません。どちらに賭けるかで、事業の形が決まります。
この章句が説くこと
玉を以て楮の葉を為る三年にして成る三年にして一葉を成さば物の葉有る者寡なからん道化を恃みて智巧を恃まず
関連する章句
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