列子 / 楊朱篇
凡彼四聖者、生無一日之歡、死有萬世之名。名者、固非實之所取也。雖稱之弗知、雖賞之不知、與株塊無以異矣。桀藉累世之資、居南面之尊、智足以距羣下、威足以震海內、恣耳目之所娛、窮意慮之所爲、熙熙然以至於死。此天民之逸蕩者也。紂亦藉累世之資、居南面之尊、威無不行、志無不從、肆情於傾宮、縱欲於長夜、不以禮義自苦、熙熙然以至於誅。此天民之放縱者也。
新字:凡彼四聖者、生無一日之歓、死有万世之名。名者、固非実之所取也。雖称之弗知、雖賞之不知、与株塊無以異矣。桀藉累世之資、居南面之尊、智足以距羣下、威足以震海内、恣耳目之所娛、窮意慮之所為、熙熙然以至於死。此天民之逸蕩者也。紂亦藉累世之資、居南面之尊、威無不行、志無不従、肆情於傾宮、縦欲於長夜、不以礼義自苦、熙熙然以至於誅。此天民之放縦者也。
書き下し
凡そ彼の四聖なる者は、生きて一日の歡び無く、死して萬世の名有り。名なる者は、固より實の取る所に非ざるなり。之を稱うと雖も知らず、之を賞すと雖も知らず。株塊と以て異なる無し。桀は累世の資に藉り、南面の尊に居る。智は以て羣下を距ぐに足り、威は以て海内を震わすに足る。耳目の娛しむ所を恣にし、意慮の爲す所を窮め、熙熙然として以て死に至る。此れ天民の逸蕩なる者なり。紂も亦た累世の資に藉り、南面の尊に居る。威は行われざる無く、志は從わざる無し。情を傾宮に肆にし、欲を長夜に縱にし、禮義を以て自ら苦しめず、熙熙然として以て誅に至る。此れ天民の放縱なる者なり。
現代語訳
そもそもあの四人の聖人は、生きているあいだに一日の歓びもなく、死んでから万世の名を得た。名というものは、もとより実が受け取れるものではない。ほめられても知らず、賞を与えられても知らない。切り株や土くれと何も変わらない。桀は代々の蓄えにたより、南面の尊位にいた。知恵は臣下を退けるに足り、威は天下を震わすに足りた。耳目の楽しむところをほしいままにし、心の思うところを窮め、和やかなまま死に至った。これは天下の人のなかでも、気ままに過ごした者である。紂もまた代々の蓄えにたより、南面の尊位にいた。威は行きわたらないところがなく、志は従われないところがなかった。傾宮で情をほしいままにし、長夜の宴で欲を尽くし、礼義で自分を苦しめず、和やかなまま誅殺に至った。これは天下の人のなかでも、放縦であった者である」。
解説
この章句が説くこと
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『列子』楊朱篇彼の二凶や、生きて欲に從うの歡び有り、死して愚暴の名を被る。實なる者は、固より名の與うる所に非ざるなり。之を毀ると雖も知らず、之を稱うと雖も知らず。此れ株塊と奚を以て異ならんや。彼の四聖は美の歸する所と雖も、苦しみて以て終わりに至り、同じく死に歸せり。彼の二凶は惡の歸する所と雖も、樂しみて以て終わりに至り、亦た同じく死に歸せり、と。
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『列子』楊朱篇楊朱曰く、萬物の異なる所は生なり、同じき所は死なり。生けば則ち賢愚・貴賤有り、是れ異なる所なり。死すれば則ち臭腐・消滅有り、是れ同じき所なり。然りと雖も、賢愚・貴賤は能くする所に非ざるなり。臭腐・消滅も亦た能くする所に非ざるなり。故に生は生ずる所に非ず、死は死する所に非ず、賢は賢とする所に非ず、愚は愚とする所に非ず、貴は貴ぶ所に非ず、賤は賤しむ所に非ず。然り而して萬物は齊しく生き齊しく死し、齊しく賢く齊しく愚に、齊しく貴く齊しく賤し。十年も亦た死し、百年も亦た死す。仁聖も亦た死し、凶愚も亦た死す。生けば則ち堯舜、死すれば則ち腐骨。生けば則ち桀紂、死すれば則ち腐骨。腐骨は一なり。孰か其の異なるを知らん。且く當生に趣け。奚ぞ死後に遑あらんや、と。
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『列子』楊朱篇太古の人は生の暫く來たるを知り、死の暫く往くを知る。故に心に從いて動き、自然の好む所に違わず。當身の娛しみは去る所に非ざるなり。故に名の勸むる所と爲らず。性に從いて游び、萬物の好む所に逆らわず。死後の名は取る所に非ざるなり。故に刑の及ぶ所と爲らず。名譽の先後、年命の多少は、量る所に非ざるなり、と。
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『列子』楊朱篇楊朱曰く、天下の美は之を舜・禹・周・孔に歸し、天下の惡は之を桀・紂に歸す。然り而して舜は河陽に耕し、雷澤に陶す。四體暫くも安きを得ず、口腹美厚を得ず。父母の愛せざる所、弟妹の親しまざる所なり。行年三十、告げずして娶る。堯の禪を受くるに及び、年已に長け、智已に衰う。商鈞不才にして、位を禹に禪り、戚戚然として以て死に至る。此れ天人の窮毒なる者なり。
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『列子』楊朱篇武王既に終わり、成王幼弱にして、周公天子の政を攝る。邵公悅ばず、四國流言す。東に居ること三年、兄を誅し弟を放ち、僅かに其の身を免る。戚戚然として以て死に至る。此れ天人の危懼なる者なり。孔子は帝王の道を明らかにし、時君の聘に應ず。宋に樹を伐られ、衛に迹を削られ、商周に窮し、陳蔡に圍まれ、季氏に屈を受け、陽虎に辱を見る。戚戚然として以て死に至る。此れ天民の遑遽なる者なり。
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『列子』楊朱篇鬻子曰く、名を去る者は憂い無し、と。老子曰く、名は實の賓なり、と。而るに悠悠たる者は名に趨りて已まず。名は固より去るべからざるか、名は固より賓とすべからざるか。今名有れば則ち尊榮、名亡ければ則ち卑辱なり。尊榮なれば則ち逸樂、卑辱なれば則ち憂苦なり。憂苦は、性を犯す者なり。逸樂は、性に順う者なり。斯れ實の係る所なり。名胡ぞ去るべけんや。名胡ぞ賓とすべけんや。但だ夫の名を守りて實を累わすを惡むのみ。名を守りて實を累わさば、將に危亡の救われざるを恤えんとす。豈に徒だ逸樂憂苦の間ならんや、と。