列子 / 楊朱篇
武王既終、成王幼弱、周公攝天子之政。邵公不悅、四國流言。居東三年、誅兄放弟、僅免其身、戚戚然以至於死。此天人之危懼者也。孔子明帝王之道、應時君之聘、伐樹於宋、削迹於衛、窮於商周、圍於陳蔡、受屈於季氏、見辱於陽虎、戚戚然以至於死。此天民之遑遽者也。
新字:武王既終、成王幼弱、周公摂天子之政。邵公不悅、四国流言。居東三年、誅兄放弟、僅免其身、戚戚然以至於死。此天人之危懼者也。孔子明帝王之道、応時君之聘、伐樹於宋、削迹於衛、窮於商周、囲於陳蔡、受屈於季氏、見辱於陽虎、戚戚然以至於死。此天民之遑遽者也。
書き下し
武王既に終わり、成王幼弱にして、周公天子の政を攝る。邵公悅ばず、四國流言す。東に居ること三年、兄を誅し弟を放ち、僅かに其の身を免る。戚戚然として以て死に至る。此れ天人の危懼なる者なり。孔子は帝王の道を明らかにし、時君の聘に應ず。宋に樹を伐られ、衛に迹を削られ、商周に窮し、陳蔡に圍まれ、季氏に屈を受け、陽虎に辱を見る。戚戚然として以て死に至る。此れ天民の遑遽なる者なり。
現代語訳
武王が世を去り、成王は幼く、周公が天子の政を代行した。邵公はこれを喜ばず、四方の国に流言が飛んだ。東に留まること三年、兄を誅し弟を追放して、かろうじてわが身を免れた。憂え悲しんだまま死に至った。これは天下の人のなかでも、危うく恐れた者である。孔子は帝王の道を明らかにし、その時々の君主の招きに応じた。宋では木を伐り倒され、衛では足跡を消され、商や周のあたりで行き詰まり、陳と蔡のあいだで囲まれ、季氏に屈辱を受け、陽虎に辱められた。憂え悲しんだまま死に至った。これは天下の人のなかでも、あわてふためいた者である」。
解説
周公は兄を殺し弟を追放して、やっと自分の身を守った。孔子は行く先々で追われ、囲まれ、辱められた。どちらも、後世に最高の名を残した人です。楊朱はその名声を否定していません。事実として、彼らが生きているあいだに何が起きたかを並べているだけです。ここで見ておきたいのは、四人とも「戚戚然として死に至る」で締められていることです。憂え悲しんだまま死んだ。名は残ったが、本人の時間は苦しいままだった。功績と本人の充実は、別の勘定だと言っています。
この章句が説くこと
兄を誅し弟を放ち僅かに其の身を免る宋に樹を伐られ衛に迹を削らる戚戚然として以て死に至る
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『列子』楊朱篇凡そ彼の四聖なる者は、生きて一日の歡び無く、死して萬世の名有り。名なる者は、固より實の取る所に非ざるなり。之を稱うと雖も知らず、之を賞すと雖も知らず。株塊と以て異なる無し。桀は累世の資に藉り、南面の尊に居る。智は以て羣下を距ぐに足り、威は以て海内を震わすに足る。耳目の娛しむ所を恣にし、意慮の爲す所を窮め、熙熙然として以て死に至る。此れ天民の逸蕩なる者なり。紂も亦た累世の資に藉り、南面の尊に居る。威は行われざる無く、志は從わざる無し。情を傾宮に肆にし、欲を長夜に縱にし、禮義を以て自ら苦しめず、熙熙然として以て誅に至る。此れ天民の放縱なる者なり。
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荀子・儒効篇客に道う有りて曰く、孔子曰く、周公は其れ盛んなるかな。身貴くして愈々恭しく、家富みて愈々倹に、敵に勝ちて愈々戒む、と。之に応えて曰く、是れ殆ど周公の行いに非ず、孔子の言に非ざるなり。武王崩じ、成王幼くして、周公は成王を屏けて武王に及び、天子の籍を履み、扆に負いて立ち、諸侯は堂下に趨走す。是の時に当たりてや、夫れ又た誰にか恭しくせんや。天下を兼制し七十一国を立て、姫姓独り五十三人を居く。周の子孫、苟くも狂惑ならざる者は、天下の顕たる諸侯と為らざる莫し。孰か周公を倹と謂わんや。武王の紂を誅するや、行くの日は兵忌を以てし、東面して太歳を迎う。氾に至りて汎れ、懐に至りて壊れ、共頭に至りて山隧つ。霍叔懼れて曰く、出でて三日にして五災至る、乃ち不可なること無からんや、と。周公曰く、比干を刳きて箕子を囚え、飛廉・悪来政を知る、夫れ又た悪くんぞ不可なること有らんや、と。遂に馬を選びて進み、朝に戚に食し、暮に百泉に宿し、旦を牧の野に厭う。之を鼓して紂の卒郷を易え、遂に殷人に乗じて紂を誅す。蓋し殺す者は周人に非ず、殷人に因るなり。故に首虜の獲無く、難を蹈むの賞無し。反りて三革を定め、五兵を偃せ、天下を合し、声楽を立つ。是に於て武象起こりて韶護廃る。四海の内、心を変じ慮を易えて以て之に化順せざる莫し。故に外闔閉ざさず、天下を跨ぎて蘄ぐ無し。是の時に当たりてや、夫れ又た誰をか戒めんや。
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荀子・儒効篇大儒の効。武王崩じ、成王幼くして、周公は成王を屏けて武王に及び、以て天下を属ぬ、天下の周に倍かんことを悪めばなり。天子の籍を履み、天下の断を聴き、偃然として固より之を有つが如くにして、天下貪と称せず。管叔を殺し、殷国を虚しくして、天下戻と称せず。天下を兼制し、七十一国を立て、姫姓独り五十三人を居くも、天下偏と称せず。成王を教誨開導し、道に諭らしめて、能く跡を文武に揜う。周公周に帰り、籍を成王に反して、天下周に事うるを輟めず。然れども周公は北面して之に朝す。天子なる者は、少を以て当つべからざるなり、仮摂を以て為すべからざるなり。能なれば則ち天下之に帰し、不能なれば則ち天下之を去る。是を以て周公は成王を屏けて武王に及び、以て天下を属ぬ、天下の周を離れんことを悪めばなり。成王冠し、成人するや、周公周に帰り、籍を反す、主を滅せざるの義を明らかにするなり。周公に天下無し。郷には天下を有ち、今は天下無きは、擅にするに非ざるなり。成王郷には天下無く、今天下を有つは、奪うに非ざるなり。勢を変じ序を次ぐこと、節然たればなり。故に枝を以て主に代わるも越ゆるに非ざるなり。弟を以て兄を誅するも暴に非ざるなり。君臣位を易うるも順ならざるに非ざるなり。天下の和に因り、文武の業を遂げ、主枝の義を明らかにす、抑も亦た変化せり、天下厭然として猶お一のごとし。聖人に非ざれば之を能く為すこと莫し。夫れ是を之れ大儒の効と謂う。
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