列子 / 楊朱篇
楊朱曰:「伯成子高不以一毫利物、舍國而隱耕。大禹不以一身自利、一體偏枯。古之人損一毫利天下不與也、悉天下奉一身不取也。人人不損一毫、人人不利天下、天下治矣。」禽子問楊朱曰:「去子體之一毛以濟一世、汝爲之乎?」楊子曰:「世固非一毛之所濟。」禽子曰:「假濟、爲之乎?」楊子弗應。
新字:楊朱曰:「伯成子高不以一毫利物、舎国而隠耕。大禹不以一身自利、一体偏枯。古之人損一毫利天下不与也、悉天下奉一身不取也。人人不損一毫、人人不利天下、天下治矣。」禽子問楊朱曰:「去子体之一毛以済一世、汝為之乎?」楊子曰:「世固非一毛之所済。」禽子曰:「仮済、為之乎?」楊子弗応。
書き下し
楊朱曰く、伯成子高は一毫を以て物を利せず、國を舍てて隱れ耕す。大禹は一身を以て自ら利せず、一體偏枯す。古の人は一毫を損じて天下を利するも與えざるなり、天下を悉くして一身に奉ずるも取らざるなり。人人一毫を損ぜず、人人天下を利せずんば、天下治まらん、と。禽子楊朱に問いて曰く、子の體の一毛を去りて以て一世を濟わば、汝之を爲さんか、と。楊子曰く、世は固より一毛の濟う所に非ず、と。禽子曰く、假に濟わば、之を爲さんか、と。楊子應えず。
現代語訳
楊朱は言った。「伯成子高は毛一本ぶんも他に利を与えず、国を捨てて隠れて耕した。大禹は自分ひとりのために利を得ず、体の半分が萎えた。昔の人は、毛一本を損なって天下を利することがあっても与えなかったし、天下をあげて自分ひとりに捧げられても受け取らなかった。人が誰も毛一本を損なわず、誰も天下を利さなければ、天下は治まる」。禽子が楊朱に尋ねた。「あなたの体の毛一本を抜いて一つの世を救えるなら、あなたはそうしますか」。楊子は言った。「世はもとより毛一本で救えるものではない」。禽子は言った。「仮に救えるとしたら、そうしますか」。楊子は答えなかった。
解説
「一毛を抜かない」で有名な一節ですが、原文はもう半分を必ず伴います。天下をあげて自分に捧げられても受け取らない。取らないことと与えないことが、対になっている。そのうえで結論が置かれます。誰も一毛を損なわず、誰も天下を利さなければ、天下は治まる。他人のために自分を削る仕組みそのものを否定した主張です。そして禽子の仮定の問いに、楊朱は答えませんでした。答えられなかったのか、答える意味がないと考えたのか。この沈黙が、次の段で弟子によって解説されます。
この章句が説くこと
一毫を損じて天下を利するも与えず天下を悉くして一身に奉ずるも取らず楊子応えず
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