列子 / 楊朱篇
楊朱曰:「人肖天地之類、懷五常之性、有生之最靈者也。人者、爪牙不足以供守衛、肌膚不足以自捍禦、趨走不足以從利逃害、無毛羽以禦寒暑、必將資物以爲養、任智而不恃力。故智之所貴、存我爲貴、力之所賤、侵物爲賤。然身非我有也、既生、不得不全之、物非我有也、既有、不得而去之。身固生之主、物亦養之主。雖全生、不可有其身、雖不去物、不可有其物。有其物、有其身、是橫私天下之身、橫私天下之物。不橫私天下之身、不橫私天下物者、其唯聖人乎!公天下之身、公天下之物、其唯至人矣!此之謂至至者也。」
新字:楊朱曰:「人肖天地之類、懐五常之性、有生之最霊者也。人者、爪牙不足以供守衛、肌膚不足以自捍禦、趨走不足以従利逃害、無毛羽以禦寒暑、必将資物以為養、任智而不恃力。故智之所貴、存我為貴、力之所賤、侵物為賤。然身非我有也、既生、不得不全之、物非我有也、既有、不得而去之。身固生之主、物亦養之主。雖全生、不可有其身、雖不去物、不可有其物。有其物、有其身、是横私天下之身、横私天下之物。不横私天下之身、不横私天下物者、其唯聖人乎!公天下之身、公天下之物、其唯至人矣!此之謂至至者也。」
書き下し
楊朱曰く、人は天地の類に肖て、五常の性を懷く。有生の最も靈なる者なり。人は、爪牙は以て守衛に供するに足らず、肌膚は以て自ら捍禦するに足らず、趨走は以て利に從い害を逃るるに足らず、毛羽の以て寒暑を禦ぐ無し。必ず將に物に資りて以て養を爲し、智に任せて力を恃まざらんとす。故に智の貴ぶ所は、我を存するを貴しと爲す。力の賤しむ所は、物を侵すを賤しと爲す。然れども身は我が有に非ざるなり。既に生ずれば、之を全うせざるを得ず。物も我が有に非ざるなり。既に有れば、之を去るを得ず。身は固より生の主なり。物も亦た養の主なり。生を全うすと雖も、其の身を有つべからず。物を去らずと雖も、其の物を有つべからず。其の物を有ち、其の身を有つは、是れ天下の身を橫私し、天下の物を橫私するなり。天下の身を橫私せず、天下の物を橫私せざる者は、其れ唯だ聖人か。天下の身を公にし、天下の物を公にするは、其れ唯だ至人のみ。此れを至至なる者と謂うなり、と。
現代語訳
楊朱は言った。「人は天地の類に似て、五常の性を懐いている。生あるもののなかで最も霊妙な者である。人は、爪や牙で身を守るには足らず、皮膚で自分を防ぐには足らず、走ることで利を追い害を逃れるには足らず、毛や羽で寒暑を防ぐこともできない。必ず外の物にたよって養いとし、知恵に任せて力を頼まない。だから知恵が貴ぶのは、自分を保つことを貴いとする。力が賤しむのは、他の物を侵すことを賤しいとする。しかし、この身は自分のものではない。すでに生まれた以上は、それを全うしないわけにいかない。物も自分のものではない。すでにある以上は、それを捨てるわけにいかない。身はもとより生の主である。物もまた養いの主である。生を全うするとはいえ、その身を自分のものにはできない。物を捨てないとはいえ、その物を自分のものにはできない。その物を持ち、その身を持つのは、天下の身を勝手に私物化し、天下の物を勝手に私物化することである。天下の身を私物化せず、天下の物を私物化しない者、それこそ聖人であろう。天下の身を公とし、天下の物を公とする、それこそ至人である。これを至れるなかの至れる者という」。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『列子』楊朱篇楊朱曰く、萬物の異なる所は生なり、同じき所は死なり。生けば則ち賢愚・貴賤有り、是れ異なる所なり。死すれば則ち臭腐・消滅有り、是れ同じき所なり。然りと雖も、賢愚・貴賤は能くする所に非ざるなり。臭腐・消滅も亦た能くする所に非ざるなり。故に生は生ずる所に非ず、死は死する所に非ず、賢は賢とする所に非ず、愚は愚とする所に非ず、貴は貴ぶ所に非ず、賤は賤しむ所に非ず。然り而して萬物は齊しく生き齊しく死し、齊しく賢く齊しく愚に、齊しく貴く齊しく賤し。十年も亦た死し、百年も亦た死す。仁聖も亦た死し、凶愚も亦た死す。生けば則ち堯舜、死すれば則ち腐骨。生けば則ち桀紂、死すれば則ち腐骨。腐骨は一なり。孰か其の異なるを知らん。且く當生に趣け。奚ぞ死後に遑あらんや、と。
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『淮南子』原道訓夫れ天下なる者は亦た吾が有なり、吾も亦た天下の有なり。天下と我と、豈に間有らんや。夫れ天下を有つ者は、豈に必ずしも權を攝り勢を持し、殺生の柄を操りて以て其の號令を行うか。吾が所謂天下を有つ者は、此を謂うに非ざるなり、自ら得るのみ。自ら得れば、則ち天下も亦た我を得ん。吾と天下と相い得れば、則ち常に相い有つ。己又た焉くんぞ其の間を容るるを得ざる者有らんや。所謂自得なる者は、其の身を全うする者なり。其の身を全うすれば、則ち道と一と為る。故に江潯海裔に游び、要褭を馳せ、翠蓋を建て、目に掉羽・武象の樂を觀、耳に滔朗奇麗激抮の音を聽き、鄭・衛の浩樂を揚げ、激楚の遺風を結び、沼濱の高鳥を射、苑囿の走獸を逐うと雖も、此れ齊民の淫泆流湎する所以なるも、聖人之に處れば、以て其の精神を營み、其の氣志を亂し、心をして怵然として其の情性を失わしむるに足らず。窮僻の鄉に處り、谿谷の間に側ち、榛薄の中に隱れ、環堵の室、之を茨くに生茅を以てし、蓬戶瓮牖、桑を揉めて樞と為し、上は漏り下は溼り、北房を潤浸し、雪霜滖灖、眾蔣に浸潭し、廣澤の中に逍遙して、山峽の旁らに仿洋するは、此れ齊民の形植黎黑、憂悲して志を得ざる所と為すも、聖人之に處れば、愁悴怨懟を為さずして、其の自ら樂しむ所以を失わず。是れ何ぞや。則ち内に以て天機に通ずる有りて、貴賤貧富勞逸を以て其の志德を失わざる者なればなり。故に夫れ烏の啞啞たる、鵲の唶唶たる、豈に嘗て寒暑燥溼の為に其の聲を變ぜんや。是の故に夫れ道を得ること已に定まれば、萬物の推移を待たざるなり。一時の變化を以て吾が自得する所以を定むるに非ざるなり。吾が所謂得たる者は、性命の情其の安んずる所に處るなり。
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