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列子 / 楊朱篇

衛端木叔者、子貢之世也。藉其先貲、家累萬金。不治世故、放意所好。其生民之所欲爲、人意之所欲玩者、無不爲也、無不玩也。牆屋臺榭、園囿池沼、飲食車服、聲樂嬪御、擬齊楚之君焉。至其情所欲好、耳所欲聽、目所欲視、口所欲嘗、雖殊方偏國、非齊土之所產育者、無不必致之、猶藩牆之物也。及其游也、雖山川阻險、塗逕修遠、無不必之、猶人之行咫步也。

新字:衛端木叔者、子貢之世也。藉其先貲、家累万金。不治世故、放意所好。其生民之所欲為、人意之所欲玩者、無不為也、無不玩也。牆屋台榭、園囿池沼、飲食車服、声楽嬪御、擬斉楚之君焉。至其情所欲好、耳所欲聴、目所欲視、口所欲嘗、雖殊方偏国、非斉土之所産育者、無不必致之、猶藩牆之物也。及其游也、雖山川阻険、塗逕修遠、無不必之、猶人之行咫歩也。

書き下し

衛の端木叔なる者は、子貢の世なり。其の先の貲に藉り、家に萬金を累ぬ。世故を治めず、意を好む所に放にす。其の生民の爲さんと欲する所、人意の玩ばんと欲する所の者、爲さざる無く、玩ばざる無し。牆屋臺榭、園囿池沼、飲食車服、聲樂嬪御、齊楚の君に擬す。其の情の好まんと欲する所、耳の聽かんと欲する所、目の視んと欲する所、口の嘗めんと欲する所に至りては、殊方偏國、齊土の產育する所に非ざる者と雖も、必ず之を致さざる無し。猶お藩牆の物のごときなり。其の游ぶに及びてや、山川阻險、塗逕修遠なりと雖も、必ず之かざる無し。猶お人の咫步を行くがごときなり。

現代語訳

衛の端木叔という者は、子貢の子孫である。先祖の財産にたよって、家には万金を積み上げていた。世間のしきたりにかまわず、心の好むままに振る舞った。人が世の中でしたいと思うこと、人の心が楽しみたいと思うことで、しないことはなく、楽しまないことはなかった。塀も屋敷も高殿も、庭園も池も、飲食も車も衣服も、音楽も侍女も、斉や楚の君主に匹敵した。その心が好もうとするもの、耳が聞きたがるもの、目が見たがるもの、口が味わいたがるものについては、遠く離れた辺境の国の、この土地では産しないものであっても、必ず取り寄せた。自分の垣根のなかの物のように扱ったのである。旅に出るときは、山や川が険しく、道のりが遠くても、行かないところはなかった。人が数歩を歩くのと同じようであった。

解説

楊朱篇のなかで、思想ではなく実際の人物として登場する例です。子貢の子孫で、莫大な財産を持ち、欲しいものは何であれ手に入れた。遠方の産物を「自分の垣根のなかの物のように」扱い、遠い旅を「数歩歩くように」した。距離も希少性も、彼にとって障害ではなかった。ここまでなら、ただの豪奢な富豪です。列子がこの人物を置いたのは、次の段で彼が財産をどう始末したかを見せるためです。使い切ることと、貯め込むことは違う。その違いが、この人物の値打ちになります。

この章句が説くこと

端木叔家に万金を累ぬ意を好む所に放にす猶お藩牆の物のごとし

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