列子 / 楊朱篇
楊朱曰:「原憲窶於魯、子貢殖於衛。原憲之窶損生、子貢之殖累身。」「然則窶亦不可、殖亦不可、其可焉在?」曰:「可在樂生、可在逸身。故善樂生者不窶、善逸身者不殖。」
新字:楊朱曰:「原憲窶於魯、子貢殖於衛。原憲之窶損生、子貢之殖累身。」「然則窶亦不可、殖亦不可、其可焉在?」曰:「可在楽生、可在逸身。故善楽生者不窶、善逸身者不殖。」
書き下し
楊朱曰く、原憲は魯に窶し、子貢は衛に殖やす。原憲の窶しきは生を損じ、子貢の殖やすは身を累わす、と。然らば則ち窶しきも亦た不可、殖やすも亦た不可なり。其の可なるは焉くにか在る、と。曰く、可は生を樂しむに在り、可は身を逸するに在り。故に善く生を樂しむ者は窶しからず、善く身を逸する者は殖やさず、と。
現代語訳
楊朱は言った。「原憲は魯で貧しく、子貢は衛で財を増やした。原憲の貧しさは生を損なった。子貢の蓄財は身をわずらわせた」。「では、貧しいのもいけない、増やすのもいけないとして、よいところはどこにあるのか」。楊朱は言った。「よいところは生を楽しむことにあり、よいところは身をくつろがせることにある。だから、よく生を楽しむ者は貧しくならず、よく身をくつろがせる者は財を増やさない」。
解説
孔子の弟子の二人が対比されます。清貧の原憲と、豪商になった子貢。どちらも駄目だと言い切る。貧しさは生をすり減らし、蓄財は身を煩わせる。そして基準を金額から外します。生を楽しめているか、身がくつろいでいるか。この二つで測れば、いくら持つべきかは自動的に決まる、と。実務的には、目標金額を持つのをやめて、状態で測るという話になります。いくら稼げば足りるかは決まりませんが、いま身がくつろいでいるかどうかは今日分かる。しかも「よく楽しむ者は貧しくならない」――結果として過不足のないところに落ち着く、という順序です。
この章句が説くこと
原憲の窶しきは生を損じ子貢の殖やすは身を累わす可は生を楽しむに在り善く身を逸する者は殖やさず節度足るを知る
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