列子 / 楊朱篇
子產忙然無以應之。他日、以告鄧析。鄧析曰:「子與真人居而不知也、孰謂子智者乎?鄭國之治偶耳、非子之功也。」
新字:子産忙然無以応之。他日、以告鄧析。鄧析曰:「子与真人居而不知也、孰謂子智者乎?鄭国之治偶耳、非子之功也。」
書き下し
子產忙然として以て之に應うる無し。他日、以て鄧析に告ぐ。鄧析曰く、子は真人と居りて知らざるなり。孰か子を智者と謂わんや。鄭國の治まるは偶々なるのみ。子の功に非ざるなり、と。
現代語訳
子産はぼんやりとして、返す言葉がなかった。後日、そのことを鄧析に話した。鄧析は言った。「あなたは真人と一緒に住みながら、それに気づいていない。誰があなたを知者などと言おう。鄭の国が治まったのは、たまたまである。あなたの功績ではない」。
解説
最初に「命の重さを説け、礼義で誘え」と助言した当の鄧析が、失敗を見るや立場を反転させます。あなたは真人と暮らしながら気づいていない、鄭が治まったのは偶然であなたの功ではない、と。助言した責任にはひと言も触れません。ここには二重の読みどころがあります。一つは、鄧析の身の翻し方。もう一つは、それでも彼の指摘が的を射ていることです。子産は、身内二人の言い分を一度も聞いたことがなかった。手を打つ前に相手を知ることをしていない。人の問題を扱うとき、処方を探す前に相手の言い分を聞いたか。この長い話は、そこに落ちます。
この章句が説くこと
子は真人と居りて知らざるなり鄭国の治まるは偶々なるのみ子の功に非ず忠臣
関連する章句
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『列子』楊朱篇子產日夜以て戚と爲し、密かに鄧析に造りて之を謀りて曰く、僑聞く、身を治めて以て家に及び、家を治めて以て國に及ぶ、と。此れ近きより遠きに至るを言うなり。僑は國を爲めては則ち治まれり。而るに家は則ち亂る。其の道逆なるか。將た奚の方ありてか二子を救わん。子其れ之を詔せ、と。鄧析曰く、吾之を怪しむこと久し。未だ敢えて先には言わず。子奚ぞ其の治に時せざるか。喩すに性命の重きを以てし、誘うに禮義の尊きを以てせざるか、と。
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呂氏春秋・離謂④子產、鄭を治め、鄧析務めて之を難じ、民の獄有る者と約す。大獄は一衣、小獄は襦袴なり。民の衣襦袴を獻じて訟を學ぶ者、勝げて數う可からず。非を以て是と爲し、是を以て非と爲す。是非に度無くして、可と不可と日に變ず。勝たしめんと欲する所は因りて勝ち、罪せんと欲する所は因りて罪す。鄭國大いに亂れ、民口讙譁す。子產之を患う。是に於て鄧析を殺して之を戮す。民心乃ち服し、是非乃ち定まり、法律乃ち行わる。今世の人、多く其の國を治めんと欲して、而も鄧析の類を誅すること莫し。此れ治を欲して愈々亂るる所以なり。
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『列子』楊朱篇子產鄭に相たり、國の政を專らにす。三年、善なる者は其の化に服し、惡なる者は其の禁を畏る。鄭國以て治まり、諸侯之を憚る。而して兄有り公孫朝と曰い、弟有り公孫穆と曰う。朝は酒を好み、穆は色を好む。朝の室や酒千鍾を聚め、麴を積みて封を成す。門を望むこと百步、糟漿の氣人の鼻を逆う。其の酒に荒るるに方たりてや、世道の安危、人理の悔吝、室内の有亡、九族の親疏、存亡の哀樂を知らざるなり。水火兵刃前に交わると雖も、知らざるなり。
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『列子』力命篇鄧析は兩可の說を操り、無窮の辭を設く。子產の執政に當たり、竹刑を作る。鄭國之を用い、數ば子產の治を難ず。子產之に屈す。子產執えて之を戮し、俄かにして之を誅す。然らば則ち子產は能く竹刑を用いしに非ず、用いざるを得ざるなり。鄧析は能く子產を屈せしめしに非ず、屈せしめざるを得ざるなり。子產は能く鄧析を誅せしに非ず、誅せざるを得ざるなり。
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呂氏春秋・離謂②鄭國、相縣くるに書を以てする者多し。子產令して書を縣くること無からしむ。鄧析之を致す。子產令して書を致すこと無からしむ。鄧析之を倚す。令窮まること無ければ、則ち鄧析之に應ずるも亦た窮まること無し。是れ可と不可と辨ずること無きなり。可と不可と辨ずること無くして、以て賞罰すれば、其の罰愈々疾く、其の亂愈々疾し。此れ國を爲むるの禁なり。故に辨なれども理に當らざれば則ち偽なり。知なれども理に當らざれば則ち詐なり。詐偽の民は、先王の誅する所なり。理なる者は、是非の宗なり。