列子 / 楊朱篇
子產相鄭、專國之政。三年、善者服其化、惡者畏其禁、鄭國以治、諸侯憚之。而有兄曰公孫朝、有弟曰公孫穆。朝好酒、穆好色。朝之室也聚酒千鍾、積麴成封、望門百步、糟漿之氣逆於人鼻。方其荒於酒也、不知世道之安危、人理之悔吝、室內之有亡、九族之親疏、存亡之哀樂也。雖水火兵刃交於前、弗知也。
新字:子産相鄭、専国之政。三年、善者服其化、悪者畏其禁、鄭国以治、諸侯憚之。而有兄曰公孫朝、有弟曰公孫穆。朝好酒、穆好色。朝之室也聚酒千鍾、積麴成封、望門百歩、糟漿之気逆於人鼻。方其荒於酒也、不知世道之安危、人理之悔吝、室内之有亡、九族之親疏、存亡之哀楽也。雖水火兵刃交於前、弗知也。
書き下し
子產鄭に相たり、國の政を專らにす。三年、善なる者は其の化に服し、惡なる者は其の禁を畏る。鄭國以て治まり、諸侯之を憚る。而して兄有り公孫朝と曰い、弟有り公孫穆と曰う。朝は酒を好み、穆は色を好む。朝の室や酒千鍾を聚め、麴を積みて封を成す。門を望むこと百步、糟漿の氣人の鼻を逆う。其の酒に荒るるに方たりてや、世道の安危、人理の悔吝、室内の有亡、九族の親疏、存亡の哀樂を知らざるなり。水火兵刃前に交わると雖も、知らざるなり。
現代語訳
子産は鄭の宰相となり、国政をもっぱらにした。三年で、善良な者はその教化に従い、悪しき者はその禁令を恐れた。鄭の国はそれで治まり、諸侯も彼を憚った。ところが彼には公孫朝という兄と、公孫穆という弟がいた。朝は酒を好み、穆は色を好んだ。朝の家には酒が千鍾も蓄えられ、酒の麹が積まれて塚のようになっていた。門から百歩離れたところでも、酒粕と汁の匂いが鼻をつく。彼が酒に浸っているときは、世の中の安危も、人の道の悔いも恥も、家のなかに何があり何がないかも、一族の親しさ疎さも、生き死にの悲しみ喜びも、いっさい知らない。水や火や刃が目の前で交わっても、気づかないのである。
解説
国を治めた人が、家を治められない。しかも並の乱れ方ではありません。門から百歩離れても匂うほどの酒、水火や刃が目の前を交わっても気づかない状態。列子はこの兄弟を、単なる放蕩者としては描きません。子産という当代最高の為政者の身内に置き、しかもこのあと兄弟の側に言い分を語らせます。組織で言えば、社長が最も手を焼くのが身内であるのと同じ構図です。外に対しては制度も権威も効くのに、内には効かない。次の段では弟の様子が描かれ、そのあと子産が助けを求めます。
この章句が説くこと
鄭国以て治まり諸侯之を憚る酒千鍾を聚め麴を積みて封を成す水火兵刃前に交わると雖も知らざるなり
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