列子 / 楊朱篇
子產用鄧析之言、因閒以謁其兄弟、而告之曰:「人之所以貴於禽獸者、智慮、智慮之所將者、禮義。禮義成、則名位至矣。若觸情而動、耽於嗜慾、則性命危矣。子納僑之言、則朝自悔而夕食祿矣。」
新字:子産用鄧析之言、因閒以謁其兄弟、而告之曰:「人之所以貴於禽獣者、智慮、智慮之所将者、礼義。礼義成、則名位至矣。若触情而動、耽於嗜慾、則性命危矣。子納僑之言、則朝自悔而夕食禄矣。」
書き下し
子產鄧析の言を用い、閒に因りて以て其の兄弟に謁し、而して之に告げて曰く、人の禽獸より貴き所以の者は、智慮なり。智慮の將いる所の者は、禮義なり。禮義成らば、則ち名位至らん。若し情に觸れて動き、嗜慾に耽らば、則ち性命危うからん。子僑の言を納れなば、則ち朝に自ら悔いて夕に祿を食まん、と。
現代語訳
子産は鄧析の言葉を用い、折を見て兄弟のもとを訪ね、こう告げた。「人が禽獣より貴いわけは、知恵と思慮があるからだ。知恵と思慮を導くものは、礼と義である。礼と義が成れば、名声と地位が得られる。もし情のままに動き、欲に耽れば、命が危うくなる。あなた方が私の言葉を受け入れれば、朝に悔い改めて夕方には俸禄にありつけるだろう」。
解説
完璧な正論です。人が獣と違うのは知慮があるから、知慮を導くのは礼義、礼義が成れば地位が得られる。三段でつながっています。ただし、最後の一句に注目してください。「朝に悔い改めれば夕方には俸禄にありつける」。説得の締めが、報酬の提示になっている。徳の話をしていたはずが、最後は仕官の誘いです。しかも相手は、酒と色に千鍾と数十室を注ぎ込める資力を持っています。俸禄で釣れる相手ではない。人を諭すときに、相手が価値を置いていないものを報酬として差し出す誤りが、ここに描かれています。
この章句が説くこと
人の禽獣より貴き所以の者は智慮なり智慮の将いる所の者は礼義なり朝に自ら悔いて夕に禄を食まん仁義
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