史記 / 循吏列伝
故三得相而不喜,知其材自得之也;三去相而不悔,知非己之罪也。 子産者,鄭之列大夫也。鄭昭君之時,以所愛徐贄爲相,國亂,上下不親,父子不和。大宮子期言之君,以子産爲相。爲相一年,豎子不戲狎,斑白不提挈,僮子不犁畔。二年,市不豫賈。三年,門不夜關,道不拾遺。四年,田器不歸。五年,士無尺籍,喪期不令而治。治鄭二十六年而死,丁壯號哭,老人兒啼,曰:「子産去我死乎!民將安歸?
新字:故三得相而不喜,知其材自得之也;三去相而不悔,知非己之罪也。 子産者,鄭之列大夫也。鄭昭君之時,以所愛徐贄為相,国乱,上下不親,父子不和。大宮子期言之君,以子産為相。為相一年,豎子不戯狎,斑白不提挈,僮子不犁畔。二年,市不予賈。三年,門不夜関,道不拾遺。四年,田器不帰。五年,士無尺籍,喪期不令而治。治鄭二十六年而死,丁壮号哭,老人児啼,曰:「子産去我死乎!民将安帰?
書き下し
孫叔敖三たび相を得るも喜ばず、其の材の自ら之を得たるを知ればなり。三たび相を去るも悔いず、己の罪に非ざるを知ればなり。子産は、鄭の列大夫なり。相と為りて一年、豎子戯狎せず、斑白提挈せず、僮子畔を犁かず。二年、市豫賈せず。三年、門夜に関さず、道遺を拾はず。四年、田器帰さず。五年、士に尺籍無く、喪期令せずして治まる。鄭を治むること二十六年にして死す、丁壮号哭し、老人児のごとく啼きて曰く、「子産我を去りて死せるか、民将た安くにか帰せん」と。
現代語訳
孫叔敖は三度宰相になっても喜ばなかった。自分の才によって得たものだと知っていたからである。三度宰相を辞めさせられても悔いなかった。自分の罪ではないと知っていたからである。子産は鄭の大夫である。宰相となって一年で、若者はふざけなくなり、白髪の老人は重い荷を持たなくなり、子どもは畑の畦を耕さなくなった。二年で、市場では相場を吊り上げる者がいなくなった。三年で、夜も門に鍵をかけず、道に落ちているものを拾う者もいなくなった。四年で、農具を野に置いたまま持ち帰らずにすむようになった。五年で、士に兵役の名簿は要らなくなり、喪の期間は命じなくとも守られるようになった。鄭を治めること二十六年で死んだ。壮年の者は声を上げて泣き、老人は子どものように泣いて言った。「子産が我々を捨てて死んでしまった。民はこれからどこに身を寄せればよいのか」。
解説
この章句が説くこと
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史記 鄭世家子産、韓宣子に謂ひて曰く、「政を為すには必ず徳を以てし、立つ所以を忘るる毋かれ」と。六年、鄭火あり。公之を禳はんと欲す。子産曰く、「徳を修むるに如かず」と。八年、楚の太子建来奔す。十年、太子建、晋と謀りて鄭を襲はんとす。鄭、建を殺す。建の子勝呉に奔る。十一年、定公晋に如く。晋、鄭と謀りて周の乱臣を誅し、敬王を周に入る。十三年、定公卒し、子献公蠆立つ。献公十三年に卒し、子声公勝立つ。是の時に当たり、晋の六卿彊く、鄭を侵奪す。鄭遂に弱し。声公五年、鄭の相子産卒す。鄭人皆哭泣し、之を悲しむこと親戚を亡へるが如し。子産は鄭の成公の少子なり。人と為り仁にして人を愛し、君に事へて忠厚なり。
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荀子・堯問篇語に曰く、繒丘(そうきゅう)の封人、楚の相孫叔敖(そんしゅくごう)に見(まみ)えて曰く、吾、之を聞く、官に処ること久しき者は士之を妒(ねた)み、禄厚き者は民之を怨み、位尊き者は君之を恨む、と。相国と為りて此の三つの者有り。而るに楚の士民に罪を得ざるは何ぞや、と。孫叔敖曰く、吾三たび楚に相たれども心は瘉(いよいよ)卑(ひく)く、禄を益す毎に施すこと瘉(いよいよ)博(ひろ)く、位滋(ますま)す尊くして礼は瘉(いよいよ)恭し。是を以て楚の士民に罪を得ざるなり、と。
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呂氏春秋・下賢⑤子産、鄭に相たるや、往きて壺丘子林を見る。其の弟子と坐するに必ず年を以てす。是れ其の相を門に倚くなり。夫れ萬乘の國に相として能く之を遺き、志を謀り行いを論じ、而して心を以て人と相索むるは、其れ唯だ子産のみか。故に鄭に相たること十八年、三人を刑し、二人を殺すのみ。桃李の行に垂るる者も、之を援くもの莫く、錐刀の道に遺ちたる者も、之を舉ぐるもの莫きなり。
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説苑・政理子產、鄭に相たり。簡公、子產に謂いて曰く、「內政は出す毋かれ、外政は入る毋かれ。夫れ衣裘の美ならざる、車馬の飾らざる、子女の潔からざるは、寡人の醜なり。國家の治まらざる、封疆の正しからざるは、夫子の醜なり。」子產、鄭に相たり、簡公の身を終うるまで、內には國中の亂無く、外には諸侯の患無し。子產の政に從うや、能を擇びて之を使う。馮簡子は事を斷ずるに善く、子太叔は決するに善くして文あり、公孫揮は四國の為す所を知りて其の大夫の族姓を辨じ、變じて立ちどころに至り、又善く辭令を為す。裨諶は謀るに善く、野に於ては獲るも邑に於ては否らず。事有れば乃ち裨諶を載せて之と野に適き、謀りて可否を使め、告げて馮簡子をして之を斷ぜしめ、公孫揮をして之が辭令を為さしめ、成りて乃ち子太叔受けて之を行わしめ、以て賓客に應對す。是を以て鮮に敗事有り。
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史記 循吏列伝太史公曰く、法令は民を導く所以なり、刑罰は姦を禁ずる所以なり。文武備はらざるも、良民懼然として身修まる者は、官未だ曾て乱れざるなり。職を奉じ理に循ふも、亦以て治を為すべし、何ぞ必ずしも威厳ならんや。孫叔敖は、楚の処士なり。虞丘相之を楚の荘王に進め、以て自ら代はらしむ。三月にして楚の相と為り、教へを施し民を導き、上下和合し、世俗盛美にして、政緩やかにして禁止み、吏に姦邪無く、盗賊起こらず。秋冬は則ち民に山採を勧め、春夏は水を以てし、各々其の便とする所を得、民皆其の生を楽しむ。荘王以為へらく幣軽しと、更めて小を以て大と為す、百姓便ならず、皆其の業を去る。市令之を相に言ひて曰く、「市乱れ、民其の処に安んずる莫く、次行定まらず」と。相曰く、「此くの如きこと幾何の頃ぞ」と。市令曰く、「三月の頃なり」と。相曰く、「罷めよ、吾今之をして復せしめん」と。後五日、朝す、相之を王に言ひて曰く、「前日幣を更むるは、以て軽しと為せばなり。今市令来たりて言ひて曰く『市乱れ、民其の処に安んずる莫く、次行の定まらず』と。臣請ふ遂に令して復た故の如くせしめん」と。王之を許す、令を下すこと三日にして市復た故の如し。
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孔子家語・正論解鄭の子産、疾有り。子太叔に謂いて曰く、「我死せば、子必ず政を為さん。唯だ徳有る者のみ能く寛を以て民を服せしむ。其の次は猛に如くは莫し。夫れ火烈しければ民望みて之を畏る、故に死する者鮮し。水は濡弱にして、民狎れて之を翫ぶ、則ち死する者多し。故に寛は難し。」子産卒す。子太叔政を為す。猛にするに忍びずして寛にす、鄭国掠盗多し。太叔之を悔いて曰く、「吾早く夫子に従わば、必ず此に及ばざりしならん。」孔子之を聞きて曰く、「善いかな。政寛なれば則ち民慢る、慢れば則ち猛を以て之を糾す。猛なれば則ち民残なわる、民残なわれば則ち之を施すに寛を以てす。寛以て猛を済い、猛以て寛を済う、寛猛相済いて、政是を以て和す。詩に曰く、『民亦た労れたり、汔んど小康なるべし。此の中国を恵み、以て四方を綏んぜよ。』寛を以て之を施し、詭随を縦にする毋かれ。以て無良を謹み、寇虐を式め遏め、慘として明を畏れざるを、之を糾すに猛を以てするなり。遠きを柔らげ邇きを能くし、以て我が王を定む、之を平らかにするに和を以てするなり。」又曰く、「競わず絿がず、剛ならず柔ならず。政を布くこと優優たり、百禄是れ遒まる。和の至りなり。」子産の卒するや、孔子之を聞き、涕を出して曰く、「古の遺愛なり。」
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