列子 / 楊朱篇
楊朱曰:「古語有之:『生相憐、死相捐。』此語至矣。相憐之道、非唯情也、勤能使逸、飢能使飽、寒能使溫、窮能使達也。相捐之道、非不相哀也、不含珠玉、不服文錦、不陳犧牲、不設明器也。
新字:楊朱曰:「古語有之:『生相憐、死相捐。』此語至矣。相憐之道、非唯情也、勤能使逸、飢能使飽、寒能使温、窮能使達也。相捐之道、非不相哀也、不含珠玉、不服文錦、不陳犠牲、不設明器也。
書き下し
楊朱曰く、古語に之れ有り、生きては相い憐れみ、死しては相い捐つ、と。此の語至れり。相い憐れむの道は、唯だ情のみに非ざるなり。勤むるは能く逸せしめ、飢うるは能く飽かしめ、寒きは能く溫めしめ、窮するは能く達せしむるなり。相い捐つるの道は、相い哀しまざるに非ざるなり。珠玉を含ましめず、文錦を服せしめず、犧牲を陳ねず、明器を設けざるなり。
現代語訳
楊朱は言った。「古い言葉にこうある。生きているうちは互いに憐れみ、死んだら互いに捨てる、と。この言葉は極まっている。互いに憐れむというのは、情をかけるだけのことではない。働きすぎている者を休ませ、飢えている者を満たし、寒がっている者を温め、行き詰まっている者を通してやることだ。互いに捨てるというのは、悲しまないということではない。口に珠玉を含ませず、錦の衣を着せず、いけにえを並べず、副葬品を用意しないということだ」。
解説
生きているうちは憐れみ、死んだら捨てる。冷たく響く古語を、楊朱は具体的に解き直します。憐れむとは、働きすぎを休ませ、飢えを満たし、寒さを温め、行き詰まりを通すこと。情をかけることではなく、実際に条件を変えることだと言っている。そして捨てるとは、悲しまないことではなく、豪華な葬儀をしないことだ、と。生きているうちに全部やり、死んだあとには何もしない。この配分の思想は、いまでも通用します。存命中に何もせず、葬儀と追悼だけ立派にする組織を、私たちはよく見ます。
この章句が説くこと
生きては相い憐れみ死しては相い捐つ勤むるは能く逸せしめ飢うるは能く飽かしむ明器を設けず
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