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列子 / 楊朱篇

孟孫陽曰:「若然、速亡愈於久生、則踐鋒刃、入湯火、得所志矣。」楊子曰:「不然。既生、則廢而任之、究其所欲、以俟於死。將死、則廢而任之、究其所之、以放於盡。無不廢、無不任、何遽遲速於其閒乎?」

新字:孟孫陽曰:「若然、速亡愈於久生、則践鋒刃、入湯火、得所志矣。」楊子曰:「不然。既生、則廃而任之、究其所欲、以俟於死。将死、則廃而任之、究其所之、以放於尽。無不廃、無不任、何遽遅速於其閒乎?」

書き下し

孟孫陽曰く、若し然らば、速やかに亡ぶるは久しく生くるに愈れり。則ち鋒刃を踐み、湯火に入らば、志す所を得ん、と。楊子曰く、然らず。既に生けば、則ち廢して之に任せ、其の欲する所を究めて、以て死を俟つ。將に死せんとせば、則ち廢して之に任せ、其の之く所を究めて、以て盡くるに放る。廢せざる無く、任せざる無し。何ぞ遽かに其の閒に遲速せんや、と。

現代語訳

孟孫陽は言った。「もしそうなら、早く死ぬほうが長生きよりましだ。ならば刃を踏み、熱湯や火に飛び込めば、望みが叶うことになる」。楊子は言った。「そうではない。すでに生まれた以上は、手を放して成り行きに任せ、望むところを究めて、死を待つ。死のうとするときも、手を放して成り行きに任せ、行き着くところを究めて、尽きるに至る。手を放さないものがなく、任せないものがない。どうしてそのあいだで、急いだり遅らせたりするのか」。

解説

孟孫陽の切り返しは鋭い。長生きが無意味なら、早く死ねばよいのか、と。楊朱は否定します。生きているあいだは望むところを究めて死を待ち、死ぬときも行き着くところを究めて尽きるに至る。速めも遅らせもしない。ここが楊朱の立場の核心です。快楽主義に見えて、実は速度を操作しないという主張でした。長生きを求めるのも、早く終えるのも、どちらも速度をいじる行為です。事業でも、無理に伸ばすことと、早めに畳むことは、同じ操作の裏表です。どちらもしないという第三の位置が、ここに置かれています。

この章句が説くこと

速やかに亡ぶるは久しく生くるに愈れり廃して之に任せ其の欲する所を究む何ぞ遽かに其の閒に遅速せん

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