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列子 / 楊朱篇

曰:「管仲之相齊也、君淫亦淫、君奢亦奢。志合言從、道行國霸。死之後、管氏而已。田氏之相齊也、君盈則己降、君歛則己施。民皆歸之、因有齊國、子孫享之、至今不絕。若實名貧、僞名富。」曰:「實無名、名無實。名者、僞而已矣。昔者堯舜僞以天下讓許由、善卷、而不失天下、享祚百年。伯夷、叔齊實以孤竹君讓、而終亡其國、餓死於首陽之山。實、僞之辯、如此其省也。」

新字:曰:「管仲之相斉也、君淫亦淫、君奢亦奢。志合言従、道行国覇。死之後、管氏而已。田氏之相斉也、君盈則己降、君歛則己施。民皆帰之、因有斉国、子孫享之、至今不絶。若実名貧、偽名富。」曰:「実無名、名無実。名者、偽而已矣。昔者堯舜偽以天下譲許由、善巻、而不失天下、享祚百年。伯夷、叔斉実以孤竹君譲、而終亡其国、餓死於首陽之山。実、偽之弁、如此其省也。」

書き下し

曰く、管仲の齊に相たるや、君淫すれば亦た淫し、君奢れば亦た奢る。志合し言從い、道行われ國霸たり。死の後は、管氏のみ。田氏の齊に相たるや、君盈つれば則ち己は降り、君歛むれば則ち己は施す。民皆な之に歸し、因りて齊國を有ち、子孫之を享け、今に至るまで絕えず。若し實なれば名は貧しく、僞なれば名は富む、と。曰く、實に名無く、名に實無し。名なる者は、僞のみ。昔者堯舜は僞りて天下を以て許由・善卷に讓り、而も天下を失わず、祚を享くること百年なり。伯夷・叔齊は實に孤竹の君を以て讓り、而も終に其の國を亡い、首陽の山に餓死す。實と僞との辯、此くの如く其れ省かなり、と。

現代語訳

言う。「管仲が斉の宰相であったとき、君主が淫すれば自分も淫し、君主が奢れば自分も奢った。志は合い言葉は用いられ、道は行われて国は覇者となった。死んだあとは、管氏の家が残っただけである。田氏が斉の宰相であったとき、君主が満たせば自分は控え、君主が取り立てれば自分は施した。民はみな彼になびき、そのおかげで斉の国を手に入れ、子孫がそれを享受して、いまに至るまで絶えていない。もし実であれば名は貧しく、偽であれば名は富む」。また言う。「実には名がなく、名には実がない。名というものは、偽りにすぎない。昔、堯と舜は形ばかりに天下を許由と善卷に譲り、それでいて天下を失わず、位を百年享受した。伯夷と叔斉は本当に孤竹の君主の位を譲り合い、そして結局その国を失い、首陽山で餓死した。実と偽の弁別は、これほどはっきりしている」。

解説

管仲は君主に合わせて振る舞い、覇業を成したが、家一つが残っただけ。田氏は君主と逆のことをして民心を得て、国そのものを手に入れた。そして堯舜の禅譲は形ばかりだったから天下を失わず、伯夷叔斉は本気で譲ったから餓死した。徹底して結果で測っています。「實なれば名は貧しく、僞なれば名は富む」――本気でやると損をし、形だけなら得をする。皮肉ではなく、観察としてそう述べている。読み手として大事なのは、これを処世術として受け取らないことです。楊朱が示しているのは、名という指標がそもそも実と無関係だという指摘です。

この章句が説くこと

実なれば名は貧しく偽なれば名は富む実に名無く名に実無し名なる者は偽のみ

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