列子 / 力命篇
其使多智之人量利害、料虛實、度人情、得亦中、亡亦中。其少智之人不量利害、不料虛實、不度人情、得亦中、亡亦中。量與不量、料與不料、度與不度、奚以異?唯亡所量、亡所不量、則全而亡喪。亦非知全、亦非知喪。自全也、自亡也、自喪也。
新字:其使多智之人量利害、料虚実、度人情、得亦中、亡亦中。其少智之人不量利害、不料虚実、不度人情、得亦中、亡亦中。量与不量、料与不料、度与不度、奚以異?唯亡所量、亡所不量、則全而亡喪。亦非知全、亦非知喪。自全也、自亡也、自喪也。
書き下し
其れ多智の人をして利害を量り、虛實を料り、人情を度らしむるも、得るも亦た中り、亡うも亦た中る。其れ少智の人は利害を量らず、虛實を料らず、人情を度らざるも、得るも亦た中り、亡うも亦た中る。量ると量らざると、料ると料らざると、度ると度らざると、奚を以てか異ならん。唯だ量る所亡く、量らざる所亡ければ、則ち全くして喪う亡し。亦た全きを知るに非ず、亦た喪うを知るに非ず。自ら全きなり、自ら亡ぶるなり、自ら喪うなり。
現代語訳
知恵のある人に利害を測らせ、虚実を推し量らせ、人情を推察させても、得ることもあれば失うこともある。知恵の少ない人が利害を測らず、虚実を推し量らず、人情を推察しなくても、得ることもあれば失うこともある。測るのと測らないの、推し量るのと推し量らないの、推察するのとしないので、どこが違うというのか。ただ、測るところがなく、測らないところもないなら、そのときは全うして失うものがない。それは全うすると知っているのでもなく、失うと知っているのでもない。おのずと全うし、おのずと滅び、おのずと失うのだ。
解説
読み手にとって、いちばん受け入れがたい一節でしょう。念入りに分析しても、何も考えなくても、当たり外れは同じだ、と。ただし、だから分析するな、とは言っていません。「量る所亡く、量らざる所亡ければ」――測るとも測らないとも決めていない状態が置かれます。分析を放棄するのでもなく、分析に頼りきるのでもない位置です。実務に引き寄せれば、分析の結果を判断の根拠にはするが、正しさの保証としては使わない、ということになります。緻密に測ったのだから外れないはずだ、という思い込みが、いちばん高くつきます。
この章句が説くこと
得るも亦た中り亡うも亦た中る量ると量らざると奚を以てか異ならん自ら全きなり自ら喪うなり
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