列子 / 力命篇
佹佹成者、俏成也、初非成也、佹佹敗者、俏敗者也、初非敗也。故迷生於俏、俏之際昧然。於俏而不昧然、則不駭外禍、不喜內福、隨時動、隨時止、智不能知也。信命者於彼我無二心。於彼我而有二心者、不若揜目塞耳、背坂面隍亦不墜仆也。故曰:死生自命也、貧窮自時也。怨夭折者、不知命者也、怨貧窮者、不知時者也。當死不懼、在窮不戚、知命安時也。
新字:佹佹成者、俏成也、初非成也、佹佹敗者、俏敗者也、初非敗也。故迷生於俏、俏之際昧然。於俏而不昧然、則不駭外禍、不喜内福、随時動、随時止、智不能知也。信命者於彼我無二心。於彼我而有二心者、不若揜目塞耳、背坂面隍亦不墜仆也。故曰:死生自命也、貧窮自時也。怨夭折者、不知命者也、怨貧窮者、不知時者也。当死不懼、在窮不戚、知命安時也。
書き下し
佹佹として成る者は、成るに俏たり。初めより成るに非ざるなり。佹佹として敗るる者は、敗るるに俏たる者なり。初めより敗るるに非ざるなり。故に迷いは俏に生ず。俏の際は昧然たり。俏に於いて昧然たらざれば、則ち外禍に駭かず、内福に喜ばず、時に隨いて動き、時に隨いて止まる。智の知る能わざるなり。命を信ずる者は彼我に於いて二心無し。彼我に於いて二心有る者は、目を揜い耳を塞ぎ、坂を背にし隍に面するも亦た墜仆せざるに若かず。故に曰く、死生は自ずから命なり、貧窮は自ずから時なり、と。夭折を怨む者は、命を知らざる者なり。貧窮を怨む者は、時を知らざる者なり。死に當たりて懼れず、窮に在りて戚まざるは、命を知り時に安んずればなり。
現代語訳
もう少しで成りそうだというのは、成るのに似ているだけで、はじめから成るのではない。もう少しで敗れそうだというのは、敗れるのに似ているだけで、はじめから敗れるのではない。だから迷いは「似ている」というところから生じる。似ているかどうかの境目は、はっきりしない。似ているというところで惑わされなければ、外の災いに驚かず、内の幸いに喜ばず、時に従って動き、時に従って止まる。知恵では知りようがないのだ。命を信じる者は、相手と自分について二つの心を持たない。相手と自分について二つの心を持つ者は、目をふさぎ耳を閉じ、坂を背にし堀に向かって立っても倒れ落ちない者に及ばない。だから言う。死と生はおのずから命であり、貧しさと行き詰まりはおのずから時である、と。若死にを恨む者は、命を知らない者である。貧しさを恨む者は、時を知らない者である。死に臨んで恐れず、行き詰まって悲しまないのは、命を知り時に安んじているからである。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
-
『列子』力命篇其れ多智の人をして利害を量り、虛實を料り、人情を度らしむるも、得るも亦た中り、亡うも亦た中る。其れ少智の人は利害を量らず、虛實を料らず、人情を度らざるも、得るも亦た中り、亡うも亦た中る。量ると量らざると、料ると料らざると、度ると度らざると、奚を以てか異ならん。唯だ量る所亡く、量らざる所亡ければ、則ち全くして喪う亡し。亦た全きを知るに非ず、亦た喪うを知るに非ず。自ら全きなり、自ら亡ぶるなり、自ら喪うなり。
-
『列子』力命篇生は之を貴びて能く存する所に非ず。身は之を愛して能く厚くする所に非ず。生も亦た之を賤しみて能く夭くする所に非ず。身も亦た之を輕んじて能く薄くする所に非ず。故に之を貴びて或いは生きず、之を賤しみて或いは死せず、之を愛して或いは厚からず、之を輕んじて或いは薄からず。此れ反に似たり、反に非ざるなり。此れ自ら生き自ら死し、自ら厚く自ら薄きなり。或いは之を貴びて生き、或いは之を賤しみて死し、或いは之を愛して厚く、或いは之を輕んじて薄し。此れ順に似たり、順に非ざるなり。此れも亦た自ら生き自ら死し、自ら厚く自ら薄きなり。鬻熊文王に語げて曰く、自ら長きは增す所に非ず、自ら短きは損ずる所に非ず。算の亡き所を若何せん、と。老聃關尹に語げて曰く、天の惡む所、孰か其の故を知らん、と。天意を迎え、利害を揣るは、其の已むに如かざるを言うなり。
-
『列子』力命篇命を信ずる者は、壽夭亡し。理を信ずる者は、是非亡し。心を信ずる者は、逆順亡し。性を信ずる者は、安危亡し。則ち之を都て信ずる所亡く、都て信ぜざる所亡しと謂う。真なり慤なり。奚をか去り奚をか就かん。奚をか哀しみ奚をか樂しまん。奚をか爲し奚をか爲さざらん。黄帝の書に云う、至人は居ること死せるが若く、動くこと械の若し、と。亦た居る所以を知らず、亦た居らざる所以を知らず、亦た動く所以を知らず、亦た動かざる所以を知らず。亦た衆人の觀るを以て其の情貌を易えず、亦た衆人の觀ざるを謂いて其の情貌を易えずんばあらず。獨り往き獨り來たり、獨り出で獨り入る。孰か能く之を礙げんや、と。
-
『列子』力命篇生くべくして生くるは、天の福なり。死すべくして死するは、天の福なり。生くべくして生きざるは、天の罰なり。死すべくして死せざるは、天の罰なり。生くべく、死すべくして、生を得死を得ること有り。生くべからず、死すべからずして、或いは死し或いは生くること有り。然り而して生生死死は、物に非ず我に非ず、皆な命なり。智の柰何ともする所無きなり。故に曰く、窈然として際無く、天道自ら會す。漠然として分かつ無く、天道自ら運る、と。天地も犯す能わず、聖智も干す能わず、鬼魅も欺く能わず。自然なる者は之を默し之を成し、之を平らげ之を寧んじ、之を將り之を迎う。
-
『列子』力命篇力曰く、若し若の言の如くんば、我固より物に功無くして、物此くの若きか。此れ則ち若の制する所か、と。命曰く、既に之を命と謂う。柰何ぞ之を制する者有らんや。朕は直きて之を推し、曲がりて之に任す。自ら壽く自ら夭く、自ら窮し自ら達し、自ら貴く自ら賤しく、自ら富み自ら貧し。朕豈に能く之を識らんや。朕豈に能く之を識らんや、と。
-
『列子』力命篇楊布問いて曰く、此に人有り。年は兄弟なり、言は兄弟なり、才は兄弟なり、貌は兄弟なり。而るに壽夭は父子なり、貴賤は父子なり、名譽は父子なり、愛憎は父子なり。吾之に惑う、と。楊子曰く、古の人に言有り。吾嘗て之を識る。將に以て若に告げん。然る所以を知らずして然るは、命なり。今昏昏昧昧、紛紛若若として、爲す所に隨い、爲さざる所に隨う。日々に去り日々に來たる。孰か能く其の故を知らん。皆な命なるかな。