列子 / 力命篇
此世稱管鮑善交者、小白善用能者。然實無善交、實無用能也。實無善交、實無用能者、非更有善交、更有善用能也。召忽非能死、不得不死、鮑叔非能舉賢、不得不舉、小白非能用讐、不得不用。
新字:此世称管鮑善交者、小白善用能者。然実無善交、実無用能也。実無善交、実無用能者、非更有善交、更有善用能也。召忽非能死、不得不死、鮑叔非能舉賢、不得不舉、小白非能用讐、不得不用。
書き下し
此れ世に管鮑善く交わる者、小白善く能を用うる者と稱す。然れども實に善く交わる無く、實に能を用うる無きなり。實に善く交わる無く、實に能を用うる無しとは、更に善く交わる有り、更に善く能を用うる有るに非ざるなり。召忽は能く死せしに非ず、死せざるを得ざるなり。鮑叔は能く賢を舉げしに非ず、舉げざるを得ざるなり。小白は能く讐を用いしに非ず、用いざるを得ざるなり。
現代語訳
これを世の人は、管仲と鮑叔はよく交わった者、小白はよく能力ある者を用いた者と称する。しかし実際には、よく交わったのでもなく、よく能力を用いたのでもない。よく交わったのでもなくよく能力を用いたのでもないというのは、別にもっとよい交わりがあり、もっとよい用い方があるという意味ではない。召忽は死ぬことができたのではなく、死なずにいられなかったのだ。鮑叔は賢者を挙げることができたのではなく、挙げずにいられなかったのだ。小白は仇を用いることができたのではなく、用いずにいられなかったのだ。
解説
美談を全部ひっくり返します。しかも「もっとよいやり方がある」という意味ではない、とわざわざ断っている。三人はそれぞれ、そうせずにいられなかっただけだ、と。ここが力命篇の核心です。私たちが徳や英断と呼んでいるものは、後からそう名づけただけで、当人には選択の余地がなかったのではないか。実務での効き目は、他人の評価より自己評価のほうにあります。うまくいった判断を自分の英断として記憶すると、次に同じ判断をして失敗します。そうせずにいられなかったのだと考えれば、再現しようとする誘惑は減ります。手柄を減らすのではなく、原因を取り違えないための見方です。
この章句が説くこと
実に善く交わる無く実に能を用うる無し召忽は能く死せしに非ず死せざるを得ざるなり人物評価評価適材適所
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