列子 / 力命篇
北宮子既歸、衣其裋褐、有狐貉之溫、進其茙菽、有稻粱之味、庇其蓬室、若廣廈之蔭、乘其篳輅、若文軒之飾。終身逌然、不知榮辱之在彼也、在我也。東郭先生聞之曰:「北宮子之寐久矣、一言而能寤、易悟也哉!」
新字:北宮子既帰、衣其裋褐、有狐貉之温、進其茙菽、有稲粱之味、庇其蓬室、若広廈之蔭、乗其篳輅、若文軒之飾。終身逌然、不知栄辱之在彼也、在我也。東郭先生聞之曰:「北宮子之寐久矣、一言而能寤、易悟也哉!」
書き下し
北宮子既に歸り、其の裋褐を衣るに、狐貉の溫かき有り。其の茙菽を進むるに、稻粱の味有り。其の蓬室に庇るに、廣廈の蔭の若し。其の篳輅に乘るに、文軒の飾りの若し。終身逌然として、榮辱の彼に在るか、我に在るかを知らず。東郭先生之を聞きて曰く、北宮子の寐ぬること久し。一言にして能く寤む。悟り易きかな、と。
現代語訳
北宮子は家に帰ってから、粗末な短い衣を着ても、狐や狢の毛皮のような温かさを感じた。豆の飯を口にしても、上等の米の味がした。あばら家に身を寄せても、広い邸宅の庇の下にいるようだった。粗末な柴の車に乗っても、飾り立てた車のようだった。生涯ゆったりとして、栄えや辱めが相手の側にあるのか自分の側にあるのかも気にしなくなった。東郭先生はこれを聞いて言った。「北宮子は長いあいだ眠っていた。ひと言で目が覚めた。悟りやすい人だ」。
解説
暮らしは一つも変わっていません。粗末な衣も豆飯もあばら家も、そのままです。変わったのは、それを何と比べていたかだけでした。比べる相手を降ろした瞬間に、同じものが温かく、うまく、広くなった。そして「榮辱の彼に在るか、我に在るかを知らず」――栄えも辱めも、どちらの側にあるのか気にしなくなった。ここが到達点です。他人と比べない、ではなく、比較という枠そのものが消えている。東郭先生の評も的確です。彼は長く眠っていた、ひと言で目が覚めた、悟りやすい人だ、と。長く苦しんでいたことを、鈍さの証拠にしていません。
この章句が説くこと
其の裋褐を衣るに狐貉の温かき有り終身逌然たり栄辱の彼に在るか我に在るかを知らず
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