列子 / 力命篇
東郭先生曰:「汝之言厚薄不過言才德之差、吾之言厚薄異於是矣。夫北宮子厚於德、薄於命、汝厚於命、薄於德。汝之達、非智得也、北宮子之窮、非愚失也。皆天也、非人也。而汝以命厚自矜、北宮子以德厚自愧、皆不識夫固然之理矣。」西門子曰:「先生止矣!予不敢復言。」
新字:東郭先生曰:「汝之言厚薄不過言才徳之差、吾之言厚薄異於是矣。夫北宮子厚於徳、薄於命、汝厚於命、薄於徳。汝之達、非智得也、北宮子之窮、非愚失也。皆天也、非人也。而汝以命厚自矜、北宮子以徳厚自愧、皆不識夫固然之理矣。」西門子曰:「先生止矣!予不敢復言。」
書き下し
東郭先生曰く、汝の言う厚薄は才德の差を言うに過ぎず。吾の言う厚薄は是に異なるなり。夫れ北宮子は德に厚くして、命に薄し。汝は命に厚くして、德に薄し。汝の達するは、智もて得たるに非ざるなり。北宮子の窮するは、愚もて失えるに非ざるなり。皆な天なり、人に非ざるなり。而るに汝は命の厚きを以て自ら矜り、北宮子は德の厚きを以て自ら愧ず。皆な夫の固然の理を識らざるなり、と。西門子曰く、先生止めよ。予敢えて復た言わず、と。
現代語訳
東郭先生は言った。「あなたの言う厚い薄いは、才能と徳の差を言っているにすぎない。私の言う厚い薄いはそれとは違う。そもそも北宮子は徳に厚く、命に薄い。あなたは命に厚く、徳に薄い。あなたが栄えたのは、知恵で得たものではない。北宮子が行き詰まったのは、愚かさで失ったものではない。どちらも天のはたらきであって、人のはたらきではない。それなのにあなたは命が厚いことで自分を誇り、北宮子は徳が厚いことで自分を恥じている。どちらもこの当たり前の道理を知らないのだ」。西門子は言った。「先生、おやめください。私はもう何も申しません」。
解説
東郭先生は、二人の物差しをまるごと入れ替えます。厚い薄いは才能や徳の差ではなく、徳と命という別々の二つの目盛りだ、と。北宮子は徳に厚く命に薄い。西門子は命に厚く徳に薄い。どちらも一方に厚く、一方に薄い。そして誤りを二つ指摘します。西門子は命の厚さを自分の手柄として誇っている。北宮子は徳の厚さを持ちながら恥じている。どちらも自分が持っているものと、天から与えられたものを取り違えている。経営者にとって、この区別は実用的です。成果のうち、自分の手柄と数えてよいものはどれか。誤ると、次の判断が狂います。
この章句が説くこと
北宮子は徳に厚くして命に薄し汝の達するは智もて得たるに非ず皆な天なり人に非ず
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『列子』力命篇北宮子西門子に謂いて曰く、朕と子とは世を並ぶるなり。而るに人は子を達とす。族を並ぶるなり。而るに人は子を敬う。貌を並ぶるなり。而るに人は子を愛す。言を並ぶるなり。而るに人は子を庸う。行いを並ぶるなり。而るに人は子を誠とす。仕うるを並ぶるなり。而るに人は子を貴ぶ。農するを並ぶるなり。而るに人は子を富ましむ。商するを並ぶるなり。而るに人は子を利す。朕は衣は則ち裋褐、食は則ち粢糲、居は則ち蓬室、出づれば則ち徒行す。子は衣は則ち文錦、食は則ち粱肉、居は則ち連欐、出づれば則ち結駟す。家に在りては熙然として朕を棄つるの心有り、朝に在りては諤然として朕を敖るの色有り。請謁相い及ばず、遨遊行を同じくせざること、固より年有り。子自ら德の朕に過ぐと以えるか、と。西門子曰く、予は以て其の實を知る無し。汝は事を造して窮し、予は事を造して達す。此れ厚薄の驗か。而るに皆な予と並ぶと謂う。汝の顏厚し、と。
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『列子』力命篇北宮子既に歸り、其の裋褐を衣るに、狐貉の溫かき有り。其の茙菽を進むるに、稻粱の味有り。其の蓬室に庇るに、廣廈の蔭の若し。其の篳輅に乘るに、文軒の飾りの若し。終身逌然として、榮辱の彼に在るか、我に在るかを知らず。東郭先生之を聞きて曰く、北宮子の寐ぬること久し。一言にして能く寤む。悟り易きかな、と。
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