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列子 / 力命篇

力謂命曰:「若之功奚若我哉?」命曰:「汝奚功於物而欲比朕?」力曰:「壽夭、窮達、貴賤、貧富、我力之所能也。」命曰:「彭祖之智不出堯舜之上、而壽八百、顏淵之才不出衆人之下、而壽十八。仲尼之德不出諸侯之下、而困於陳蔡、殷紂之行不出三仁之上、而居君位。季札無爵於吳、田恆專有齊國。夷齊餓於首陽、季氏富於展禽。若是汝力之所能、柰何壽彼而夭此、窮聖而達逆、賤賢而貴愚、貧善而富惡邪?」

新字:力謂命曰:「若之功奚若我哉?」命曰:「汝奚功於物而欲比朕?」力曰:「寿夭、窮達、貴賤、貧富、我力之所能也。」命曰:「彭祖之智不出堯舜之上、而寿八百、顏淵之才不出衆人之下、而寿十八。仲尼之徳不出諸侯之下、而困於陳蔡、殷紂之行不出三仁之上、而居君位。季札無爵於吳、田恒専有斉国。夷斉餓於首陽、季氏富於展禽。若是汝力之所能、柰何寿彼而夭此、窮聖而達逆、賤賢而貴愚、貧善而富悪邪?」

書き下し

力命に謂いて曰く、若の功は奚ぞ我の若くならんや、と。命曰く、汝物に奚の功ありてか朕に比せんと欲する、と。力曰く、壽夭・窮達・貴賤・貧富は、我が力の能くする所なり、と。命曰く、彭祖の智は堯舜の上に出でず、而も壽八百なり。顏淵の才は衆人の下に出でず、而も壽十八なり。仲尼の德は諸侯の下に出でず、而も陳蔡に困しむ。殷紂の行いは三仁の上に出でず、而も君位に居る。季札は吳に爵無く、田恆は齊國を專有す。夷齊は首陽に餓え、季氏は展禽より富む。若し是れ汝の力の能くする所ならば、柰何ぞ彼を壽くして此を夭くし、聖を窮せしめて逆を達せしめ、賢を賤しくして愚を貴くし、善を貧しくして惡を富ましむるか、と。

現代語訳

力が命に言った。「お前の功績など、私に及ぶものか」。命は言った。「お前は物事に何の功績があって、私と比べようというのか」。力は言った。「長生きと早死に、行き詰まりと栄達、貴さと賤しさ、貧しさと富は、私の力でできることだ」。命は言った。「彭祖の知恵は堯舜を超えていないのに、八百年生きた。顔淵の才は並の人に劣っていないのに、十八年で死んだ。仲尼の徳は諸侯に劣っていないのに、陳と蔡のあいだで苦しんだ。殷の紂の行いは三人の仁者を超えていないのに、君主の位にいた。季札は呉で爵位を得られず、田恆は斉の国を独り占めした。伯夷と叔斉は首陽山で飢え、季氏は展禽より富んだ。もしこれがお前の力でできることなら、どうしてあちらを長生きさせこちらを早死にさせ、聖人を行き詰まらせ逆らう者を栄えさせ、賢者を賤しくし愚か者を貴くし、善人を貧しくし悪人を富ませるのか」。

解説

命が挙げた例は、すべて実在の人物です。顔淵は十八で死に、孔子は陳蔡で飢え、紂王は玉座にあり、伯夷叔斉は餓死した。徳と結果が一致していない事例を並べて、力の主張を崩します。ここが力命篇の入口です。努力が結果を決めるという考えを、実例で否定している。経営者にとって、これは受け入れにくい話です。努力が結果を決めないなら、何をすればよいのか。ただし列子は、努力するなとは言っていません。次の段で命は、自分が制御しているとも言わない。この対話の落とし所は、意外なところにあります。

この章句が説くこと

力と命顏淵の才は衆人の下に出でずして寿十八聖を窮せしめて逆を達せしむ功名

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